モノを人に作ってくれと頼んだときに、作り手は「発注元が望む完成形」を渡される設計図でしか判断することはできない。
もちろん、それを実際に使ったときの利便性はどうかなど、時にはその設計図には描かれていないことも提案したり確認したりする。
それでも、それを本当に使うのはその発注元であって本当の意味で「どうあるべきなのか」を知るためには、やはり大元の設計図がすべてである。
最終的にはその設計図に書いてあることを満たさなければダメだし、書いていないことを実現してもダメということ。
実際に完成したモノをみて、発注元は判断する。
1.「おーコレが求めていたものだよ」
2.「んーちょっとイメージと違うな」
3.「あれーかなり求めていたものと違う」
2と3の場合には「直しをして欲しい」という類の依頼が来るケースもある。
設計図どおりに作っても、こういうケースは世の中には多々あると思う。(それが有償であるか無償であるかは置いておいて)
そして挙句にこう言う。
「ここの色は黒と設計図には書いてありますけど、実はこの1部分は白なんですよ。いや、ウチらでは常識なんですけどね。」
常識なら設計図に書いとけ。
こういうことは事前に確認できるわけがない。発注もとの常識なんて創造の範疇を超える話。
さらに。
「ここは黄色の方がいいのでは?」
なになに?
「修正してくれ」でもなく「いいのでは?」。
「どうあるべきか」を判断するべき発注元がわからない。
本当に分からないのか分からないフリをしているのか、その言い回しがとにかくムカつく。
なんだよ、「いいのでは?」って。馬鹿じゃないの。
結局、たぶんそうしたいんだろうけど。
「してください」って言えないの。馬鹿だから。
という、たとえ話。