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入院4日目。6時半起き。もう慣れた。午前が長いのに。
7時。朝食。

9時半。おなかがすいたのでサンドイッチを買い食い。10時。ヒマなので洗濯。洗剤がないのに動かしてしまったので急いで買いに行った。あーハンガー欲しい。でもあってもかけるところがないなぁ。 洗濯機の"残り時間"の表示が"残りダウンロード時間"くらいずれる。後ろに大きくずれる。終わったかな~と思って行っても終わっていない。ムカツク。ローカルでの作業のみなのに何で狂うんだろ。注水時間かな、とか考えてみたり。

12時。昼食。

12時半頃。田中さんが来てくれた。13時すぎ頃。フネ登場。と、ともに田中さん帰る。が、フネと病院出口に向かうとまだ田中さんはいた。そして石井さんと尾上さんが来た。そのまま病院ロビーでトーク開始。14時過ぎ頃。ゆかりんも来た。もーね。ありがたいですよ、本当に。特に、尾上さん。遠いのに。マジで多謝です。

15時過ぎくらいに皆さん帰りました。フネはそのまま病室へ。したら、本当に間髪いれずケンタ、ジュンペイ(長)、シュン、フランソワが来た。ラッシュだ。17時くらいまで思い出トーク。馬鹿トーク。昔の話を思い出しながら、なんて歳とったもんだ。

17時前くらい。ふと気付くとはっちょんとくまちゃんがいた。病室に行くと宮山さんもいた。病院ロビーで駄弁っていたために1時間ほど待たせてしまったようだ。申し訳ない。来ていただいたのに。

3人と18時過ぎくらいまでトーク。いや、楽しい。一瞬ノブが来た。大判焼きをくれた。そして帰っていった。ありがとう。

今日の午後はあっという間だった。本当に感謝です。

なまじ、中途半端に元気なのがまた悔しい。現状では引越しもできそうなんだけど、、、。でも腫瘍持ったままはイヤだし。ああ。時期が悪い。

18時半。夕飯。かに玉みたいなの。キンピラゴボウ。ごばん。漬物。

19時ごろ。安西が来てくれた。仕事帰りらしい。小1時間話していたなぁ。北斗の拳のゲームは売れているらしいね。今度吉宗もでるらしい。

たぶん、自分が親しげな人のお見舞いに行く場合、何らかの見舞い品を持っていくだろう。たぶんね。それが、、、いま爆裂しています。お土産だらけ。だから、何ももってこないでとは言いませんが、軽くていいです。もちろん持ってこなくてもOKです。

正直。もらえることはうれしいです。とても。だけど、一番うれしいのは来てくれるということなので。本当に。病人ではありませんので。

だから、ここで何を誰からもらったとは書きません。本当はネタ的に書きたいところなんだけど。

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3時頃目が覚める。体勢を変えることができないのでオケツが疲れる。さすがに3時じゃ早いので無理やり寝る。
6時頃。完全に目が覚める。看護師の人がちょうどきたので傷を見てもらい、歩くことを許された。
まぁ、やや痛いけど。そりゃそうだよな。

しかし、歩き回れる喜び。自分でトイレにいける喜び。だって、病人じゃないもの。病人扱いは屈辱。いや、まじめに闘病してい方には申し訳ないけど、、、ここではオレは病人じゃない。

洗面所で洗髪。歯磨き。シャワーはまだ怖いので濡れタオルで体を拭く。結構すっきり。もうすでに髪の毛うざい。スキンまでのカウントダウンもわずかだが。

7時。朝食。健康になりそう。あまりにも規則正しすぎる。9時。いろいろ参考になることを教えてくれたお向かいのズーキさんが退院。同じ脳腫瘍で、オペ10日目にして退院。腫瘍も陽性だと。よかった。しかし、早い。オレも14日に出る(目標)。絶対出る。退屈で死にそう。

10時。歩けるようになったのをいいことに院外まで歩いてみる。ローソンに行ってみる。よく考えたら現金がなかった。たいした暇つぶしにはならなかった。

12時。昼食。入院3日目にして魚料理は3回食べた。さすがは病院食。小骨の1本すらない。バリバリ食える。あと、コレは納得だったが、ごはんの炊き加減は緩め。梅干にも種はなし。

14時。テレビでサッカー観戦。鹿島vs横浜。その前半途中でイズミちゃん、シゲ、ナルミさん登場。とてもヒマだったので喜んでトーク。お土産も頂きました。ありがとう。

で、3人とともに売店へ。お茶買って、病棟に戻るとセンちゃんがいた。思わず抱擁。アツク抱擁。いろいろお話しましたよ。17時ごろまでいてくれました。みんなありがとう。

一人になった後、ちょっとマジックの練習をしていたら、元ちゃんとミハルちゃんが来た。うわ。練習中のマジックを見られた。ちょっと恥ずかしい。と、間髪いれず、ノブ&アヤネが来た。わー。びっくりだ。ノブは18時過ぎくらい、元ちゃん夫妻は19時ごろまでいれくれましたよ。いろいろトーク。

みんな本当にありがとう。

ノブ家=ヒサ家はこの病室からモロ見えるんだよね。あー地元だ。
19時からレッズ戦を観戦。テレ埼で。あー地元だ。

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入院2日目。6時半起き。
7時半。朝食。9時半。看護師の人から剃刀を渡される。
「見える範囲はすべて」

初めての剃毛。いや、時間かかった挙句、2箇所負けた。痛い。そしてキレイな姿に。
いや、「美しい」と「グロイ」は紙一重だ。多分。

13時からの予定だった血管造影検査は急遽11時からに変更になった。なので10時過ぎ頃から初めての点滴。生理食塩水?電解質?。意外と痛いな。当然、ネタにする気満々だったのでデジカメを持参しています。
看護師の人に撮ってもらう。

11時前。ストレッチャーに横たわり、血管造影室へ。何気に緊張。そして、初めての静脈麻酔。これはすげぇ。あっという間にほわ~んってなる。

先生が「寝ていていいから」というので寝ようとしたけど、大腿部に局所麻酔、動脈に穴を明け始めると、、、そこそこ痛い。鈍痛が続くというか。正直、結構ほわ~んてなっているけど痛くて眠れない。

「あー結構痛いんすねぇ」と言うと
「麻酔、もう1本入れる?」ときたが、寝てしまったらネタに出来ないと思い、、、麻酔を拒否した。

たまに穴を明けた付近をたまにミニハンマーのようでコンコン叩く。それが痛い。
「先生、それカテを送っているんですか?」
「いや、動脈に空気が入らないようにしているんですよ。」
「へぇー。」

モニタには自分の血管内部が映っている。左足首につけた血圧計は一定周期で測っているようだ。
「先生、今カテどこですか?」
「もうね、左頸部の後ろのほう行ったよ。」

これ、カテが通っているのわからない。まぁ、わかっても医療事故なんだろうけど。。。よーく考えると怖い。右大腿部付近の動脈から入ったカテが左首の後ろまで。いや、怖い。

そして造影剤投入と撮影開始。カテ先端から造影剤を注入すると、ほわ~んも一層激しい。これこそ言葉にできない感覚。そして多分、血管沿いに熱い。造影剤が熱い。ある意味クセになりそうでもある感覚。そこで聞いてみた。

「先生、これマニアな人なら好きなヒトいるかもしれませんね?」
「ああ。あのね。必要以上にコレやりたがるヒトいるんだよね、たまに。」

やっぱね。ある意味、ちょっと気持ちいいもの。まぁ、動脈に穴空いた状態ではあるけど。
オレはもういいや。足痛いから。

半分ラリっているので、必要以上に意味のわからないことを聞きまくり。先生の故郷とか年とか。一方的に、オレ的教育論とか語ったりもしていた。モロに覚えているのが恥ずかしい。

で。作業開始から約1時間強くらい。撮影は終了した。だんだん恥ずかしい実感が出てきて「変なこと言ってすいませんでした」と謝りながら血管造影室を後にした。その後、CT撮影をして病室に戻る。このとき12時半くらい。ミエコが来てくれたいたが、もう終わっちゃったよ。で。ここからが地獄。

動脈に穴があいていたばかりなので動かせない。動かしてはいけない。右足の膝を曲げてはいけない。上体を起こしてはいけない。寝返りをうってはいけない。これを4時間。もし出血したら大変なことになるからね、と。

つらい。マジつらい。体内に流し込んだ造影剤を排出するために点滴で生理食塩水?電解質溶液?をバンバン入れられた。そう。そのために小便がしたくなってきた。それも半端なく。まだ13時半くらい。

でも。起きてはいけない。ので。寝てしなくてはいけない。尿カテは激しく拒否したので、尿瓶で放尿。初めての尿瓶放尿。もちろん1人で。きつい。

長年生きた習慣というか。体の防衛反応というか。例えば、もうこの歳でトイレの夢を見て。その夢でいかに放尿したとしても実際には出ていないように、起きていても寝転がった状態では出ない。すごいしたいのに。これマジで。

結局10分以上かけ、腹筋にチカラを入れ、強引に出した。1000ccくらい。さすがに回収にきた看護師さんも「うわっ、でたねぇ」と驚いておられました。しょうがないじゃん。バンバン点滴していたもの。

遅めの昼食、夕食を強引に口に運んでもらい、夕食後にミエコは帰宅。4時間経った後も、まだ安静。 動かしてはいけない。右足の膝を曲げてはいけない。上体を起こしてはいけない。寝返りはカルークならいいよ、ホントに軽くね。って最初とほとんど変わらない。

それでいて、右足首は動かさなければならない。血栓予防のために。

さすがに寝ましたよ。21時くらいに。寝る前にもう一度尿瓶放尿。400cc。

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7時起床。発作さえ起きなければ健常者で健康そのもの。なのできちんと朝食をとり、抗痙攣剤を服用して自らの運転で病院へ。この時、引越し先のほうの病院に行くために2時間の運転。
10時半。入院手続き。

そして入院。

初めての入院。間髪いれず眼科で検査。脳みそ弄くるので後遺症が心配されるが、その術後後遺症のための検査。術後に同じ眼科の検査をする予定。ちなみに眼科なんて初めて。

生まれつき、または後天的にも悪いところだらけだが、眼だけはいい。いまだにいい。今回の検査でも「美しいくらい健康」とお褒めを頂いた。ああ、この自慢の眼が自慢じゃなくなっちゃうのかな。

部屋は6人の相部屋。当然皆さん脳に障害があるわけで。梗塞やら腫瘍やら。お向かいのベッドのズーキさんはオレとほぼ同じ境遇で入院した人だった。この病気のことについてとか検査についてから病院生活まで丁寧に教えてくれた。ヒマだからヒト恋しいみたい。会話好きなのもオレと同じだ。いいオッサンだ。

12時。昼食。午後になり明日の検査の説明。明日の検査のために下の毛を剃ります。テイモウです。発作がなければ健常者なので当然自分でやります。やってくれるといっても拒否するよ。元気だもの。で、このあとミエコとひーちゃんは帰りました。

18時。夕食。消灯は21時。早い。初日だからいまいち寝られず。と思ったら看護師の人が起こしにきた。
「やちさん。息子さんがいらしてますけど。」

あ?何?ヒト間違ってんじゃねぇの、と言ったがやっぱりオレらしい。出てみるとシン君でした。めっちゃ面会時間過ぎてるよ。でもノーチェックで通しちゃう病院も呼びにくる看護師もすげぇな。怒られていたけど。

結局小1時間会話して帰っていきました。面会第1号です。次回は明るい時間帯にお越しください。


(後日追記)

ついに入院生活が始まる。ほぼ、ライフワークのホームページの日記。この更新が止まる。
でも。事前の説明でたぶん後遺症もなく、出てこられるだろうと言われていた。こんな一生の内でもできるもんじゃない。というか、勘弁してください。
ちょっと(いや、説明を受けていない人にとってはかなり、か)大事ではあるけども、病巣が後遺症もなく無事に取れて社会復帰できるなら、、、絶対にネタにしなきゃ。

冗談じゃない。勘弁して欲しい。どうせ万分の1とかで当たるならいい方で当たってくれ。でも、当たっちゃったのだから仕方ない。思いっきり、ネタにするしかないじゃない。体験しちゃうんだから。つらいけど、つらいと思えるのは生きている証拠だ。

そうして、去年の『ぶらり旅2003』の時に書いた日記ノートの続きに今回の入院日記を書き始めた。
、、、とにかくどう転がるにしろ、、、開き直るほかなかった。その時は。

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出社してきた。報告と今後を話す。
会社。やっぱり好きだなぁ。なんだろう、居心地がいいというか。朝、机の上がやけににぎやかになっていたのを見てちょっとほっとしたというか。あぁ帰ってきたんだぁ、みたいな。ま、本当はこれから出かけるんだけど。。。

ビシっと治してきますのでそしたらまたバリっと働きます。

昼には帰宅。部屋の片付け。引越し準備。というか、もう今日限りでこの家には戻らない。。。そう考えるとなんかちょっぴり切ないような気がするのでした。つーかモノ多すぎ。6年で増えたなぁ。

引越しについて。昔のなじみの旧ボーイスカウトの良き先輩、同輩、後輩達の好意に甘えさせていただくこととなりました。もちろん、この家の唯一の男子である私めは引越しに絡みません。絡めません。だってオペだもの。

これには非常に感謝です。本当にありがたいです。ひーちゃん、指揮よろしく。

夜。フネと電話。フネにも引越しの際にスパ君を出してもらいます。ありがとう。で。そのフネからエッヂカードを借りることに。いや、病室で使えんのか??と言う話はそのときにしよう。そうしよう。すると、日記の更新もできるんだよね。本来なら退院までもうされないはず。したいなぁ。もうライフワークだし。

では、入院生活に入ります。

面会は
 平日  12:00~20:00
 土日祝  8:00~20:00

だそうです。ええ、フリですよ。皆さんの出席簿作って待ってますよ~。

diary

朝から移動。入院前最後の無理。というか、これを終えないと入院できない。
某区役所で転籍とか転居とか印鑑証明とか諸々の書類を取る。もうこれで埼玉県民に正式になりましたよ、今日から。と、なんと某区役所で先輩と偶然遭遇。発見したのはミエコ。追いかけて、、、まず敬礼。挨拶や経過などを報告して移動。

某銀行にていろいろ書類。署名、捺印。予想はしていたが、ここまでいっぱいあるとは。。。

で、15時に新居に移動。できてるできてる。16時くらいまで見学&粗捜し。いい家だ。ホントに。

最初はでかい買い物がなんとか、、、とかいう話だったけど、いつのまにか家って書いてあんなぁ。で。で。そんなんのはいいんだけど、世界は狭い。本当に狭い。その家購入の不動産屋の担当と先輩は従兄弟でした。狭い。狭い。

10年以上も前、ボーイスカウトのスキーキャンプにその担当の人を連れてきていたんだよなぁ。一緒にスキーやったことがあるってことだぁ。いやぁ、狭い。ということをさっき先輩から聞いたのよ。いやーびっくりした。狭いねぇ。

この変な感覚は俺と先輩にしかわからないねぇ。ホント、狭い。そして笑える。

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浦和勝利も副作用きつくて気も滅入っていた週末も終了。
朝7時起きでさいたまの方の+←こんな感じの総合病院に行きました。結果、取り除く必要あり、と。なので取ります。

人生初の入院、手術です。入院は28日。その後、数種類の検査をして11月4日に手術です。剃毛です。上も下も。手術は全身麻酔だからいいけど、その前後に不安あり。

ところで、11月3日はナ杯決勝なのですけど。。。今年は行けないですね。残念です。

いろいろな人に心配していただいています。ありがとう。
とくに、ミエコとひーちゃんにはホント世話かけています。ありがとう。


(後日追記)
この日、朝イチでわざわざ埼玉まで遠征して診察してもらったわけだけど。船橋でのMR写真や紹介状をもっていきました。その場でもCTや血液検査など午後までいろいろ検査をして、出た結論が「除去必要アリ」

でも、「たぶん、良性」と言うのがその場の診察だった。だから、それほど急がなくても痙攣止めを服用していれば実生活にはとくに支障はないとも言われた。

だからなんだろう。そのとき先生は「来年の4月くらいに取る?」と言ったが、俺は強い意志で「すぐに取ってください」とお願いした。もちろん、家のことや引越しのことがあるのはわかっていた。わかっていたけど。イヤだよ。脳腫瘍があるとわかっているのに半年も後に取ることなんか。

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意外と時間が経つのは早いもので。もう1週間か。
発作を抑えるための薬がことのほか強いらしく、服用後に結構きつい吐き気に襲われる。で、下る。でも食べないと胃が荒れる。ツライ。いわゆる副作用。

引っ越す手続きも慌しく進んでいて、静養してばかり入られない状態でもある。まずは転出届けやら印鑑証明の破棄、住所変更。そしてなにより、俺が居合わせなくてはならない家の引き渡し手続。これが、早くて26日になりそう。かなり不動産屋を急かしたけど、今月の2回の台風のおかけで家屋の完成は遅れているらしい。

病院を決めてすぐには入院とはいかないけど、診察は必要。ということで25日に大宮の病院に行って来る予定です。電車で。

今日は夕方に突然シゲが着てくれました。ただ荒れまくった汚い部屋で何をするでもなく、ただただだらだらとした時間を過ごしました。

帰ろうとした21時ごろ、純平(島)がPS2を持ってきてくれました。レンタルです。これで入院生活も。って引っ越しの準備しろっての。

しかしアレだ。
最近よく見るアンダーシャツじゃなくてレオタードみたいなヤツは見ていてあまり好きじゃないなぁ。

diary

検査結果。確定しました。脳腫瘍です。
そら、ここまでの流れがあるからそれなりの心の準備はしていったけど、、、いざ直接聞くとねぇ、、、ショックでしたよ。MR写真とMRA写真と呼ばれる、昨日撮影したヤツ。グロイ。眼球もハッキリ映ってやがる。、、、腫瘍もね。

さて。

本来ならばこのまま入院なんだけど。時期が悪い。不動産屋との最終本契約の実印は俺が押さなければならない。さぁ、どうしたものか。それまでは、ねぇ、、どうなるんだろ。シゲあたりが陽介君になってハンコ押してきてくれないかなぁ。もうねぇ、仕事のこともあるしさっさと取っちゃいたいのよ、俺としては。

あー、そういや先生は言っていたけど、脳腫瘍はストレスではできないんだって。、、、仕事のせいにはできないねぇ。

ちょっと高いけど、みなさん、脳ドック受けといた方がいいですよ。

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もう生活が不規則。夜眠れない。日中眠くなる。あー不摂生。
12時からMRI検査。約20分間、狭い筒状のようなものの中に頭を突っ込み、やたらとうるさい金属音を延々と聞かされる。耳栓くれたけど。

この検査の受診にあたっての注意書きが検査室の壁に貼ってあった。

・心臓ペースメーカーをつけている人は受診できません。
・金属アクセサリーははずしましょう。
・閉所恐怖症の人は受診できません。

これ、ホントに書いてあった。どうするんだろ。「すいません、私、閉所恐怖症なんですけど」って言ったらどうなったのかな。まー確かに狭いところでしたが。当然、寝てましたよ。

その後、脳外科の先生がきて簡単な質問をされた。脳外科の先生が呼ばれたってことは、、、やっぱりなんかあるんだな。

明日、今日の結果と今後のことを決めに行ってきます。さぁ、徐々にリアリティが増してきた。怖いよぉ。

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家でじっとしていたところでやることがないので出社。
それなり驚かれたが、まぁ、条件付で元気ですから。

ちょうど新しい仕事の始まりかけで先週、先方に打ち合わせに行って来たばかり。そういや、同じお客さんで2年前に初めて仕事をもらったときも仕事が始まったとたんにスタッフが1名病気になった、、、とその本人が思い出した。病名は「帯状疱疹」。呪われてんのかなぁ、このお客さんには。

病気に対して。いろいろな不安はあります。「治るのか?」から「後遺症は?」までいろいろとあーだこーだ考える時間帯もあります。そもそも今までにこんな経験ないし。まぁしたいとは思わないけど。

倒れたとき。金曜日。会社に報告をとオーワキさんとモタイさんに連絡の電話を入れた。が。このページを見ている人が社内にもいるわけで、部課長陣の「オオゴトだから隠しておこう」の意に添えず、、、あっという間に会社中にこの話が蔓延したらしい。恐るべしネット社会。

そして自分でも予想以上な反響です。ホントにびっくりしています。まずもって本当にありがたいことです。これもワタクシめの人徳ですね。そうに違いありませんな。人徳。

今日もケンタがウチに来てくれたそうです。"そうです"ってのは俺が家にいなかったから。 はぁ。手術怖いなぁ。

diary

うれしい話。「今から行くから」って言ってくれている人から多数連絡がありました。一応、発作さえ起きなければいつも通りの俺なんだけどね。
この際なのでカミングアウト。

怒られるかなーと思って黙っていたことがあります。とくにイナガク関係でマーシャル方面に興味のある方に。9月の末日に行って来たんですよ、グアムに。17,000円で。言ったら怒られると思ってシゲにすら黙っていました。グアムで発作起こらなくてよかった~。もうこの際だから怒られてもイイヤ。

本日。
10時半ごろに大宮からシンくんが突然着てくれました。
同10時半ごろに蒲田から順平が着てくれました。
同10時半ごろに水戸からひぐまんが着てくれました。
11時ごろにフネが着てくれました。
14時くらいにいずみちゃんから電話がありました。
17時半ごろにしばちゃんから電話がありました。

みんな、なに集合してんの?

いえいえ。どうもありがとうみんな。私は涙で枕をぬらしながらタバコを吹かしています。


(後日追記)
意外にも。このページを見ている人は多く、心配して電話してくれたり突然会いに来てくれたりしてくれた人がたくさんいた。まだ、精密検査もしていないのに。

でも。突然知り合いや友人が、「俺、脳腫瘍かもって医者に言われた」って聞いたらどう感じるか。正直、医学に関して無知だ。ガンって聞いたら即、死をイメージする。俺の中では脳に関する疾患は死に関するイメージは低いけど、後遺症に対するイメージが強い。後遺症。

やっぱり、何も知らないことは怖い。病気に対して、何が怖いのか。何が怖くないのか。何が治るもので。どうなるとやばいのか。どこをどうするとああなって。、、、今はインターネットで簡単に調べることができる便利な世の中だ。