7時に目が覚める。
退院してからというもの、やたらと規則正しい生活になってしまっている。適当に飯を食い、薬を飲み、新聞を一通りナメ、まったりして9時。さて。引越してから3週間。そして退院してから1週間も経つが片付けをしていない。今までまったくやらなかったできなかった部屋の片付けをやるか、ということで戦闘開始。
ところで、すでに、すっかりひーちゃんの部屋は片付いている。俺の部屋の片付け進捗率は10%もいっていないだろう。たぶん。今日はこれを30くらいまではもっていきたい。
どちらかと言えば、自分用備忘録。たまに外向け。
7時に目が覚める。
退院してからというもの、やたらと規則正しい生活になってしまっている。適当に飯を食い、薬を飲み、新聞を一通りナメ、まったりして9時。さて。引越してから3週間。そして退院してから1週間も経つが片付けをしていない。今までまったくやらなかったできなかった部屋の片付けをやるか、ということで戦闘開始。
ところで、すでに、すっかりひーちゃんの部屋は片付いている。俺の部屋の片付け進捗率は10%もいっていないだろう。たぶん。今日はこれを30くらいまではもっていきたい。
11時寝。5時起。5時ですんだのはわざわざウチのまでモタイさんが迎えに来てくれたから。感謝。
多少の不安はありつつも、3度目の社長杯ゴルフin埼玉国際CC。今年は社外からのゲストも参加して総勢11人。結果 60・56=116 は10位でブービー。まだラウンド3回目のコマツが下にいるだけ。うまいよ、やつぁ。
けど。正直のところ。結果としては。いや、やってみた感想としてみても。病み上がりだろうが、なかろうが、いつもとたいして変わらないレベルでした。やっていても違和感なし。ただ、2ヶ月ぶりで練習なしってのがちょっと納得いかなかった。ちょっとだけ。
帰りはJR川越線の笠幡で落としてもらう。なかなか電車がこない単線。30分待ち。風強い。寒い。
かなり疲れたけど、ながーい病院生活の鬱憤を晴らす楽しい1日でした(部屋は片付きません)。
疲れて、、、繋がったはずのテレビもネットもロクにやらずにすぐに寝たくせに、なんかあまりよく眠れなかった。
そういや、ケーブルの会社の人がお菓子を持ってきたみたいでテーブルの上に置いてあった。軽く言っただけなんだけどな。軽く。
しかし、人間の体の回復力ってすごいなぁ。4日にパカって開いて、5日には自力で歩いてメシ食ってだ。6日にはたかがクシャミしてあれだけ激痛が響いた傷口も。11日には抜糸して。18日には退院して、車のドアにぶつけてあんだけ痛かった傷口も。25日には会社の机の下を整理しようとしてぶつけて、だ。もうあんまり痛くないよ。あんまり、ね。
でも、やっぱり今回のケースは骨もバリバリいっているわけで、それが完全にくっつくには結構時間がかかるみたい。もちろん、中身の回復の経過も見なきゃいけないしねぇ。
だから。残念だけど、年末年始のボードはあきらめることにしました。本当に残念ですけど。
あと、週末のゴルフについて球が当たったらどうすんだって言われたけど、健常者でも当たったら同じですから。
いきなり無理してもなんだから、と定時にあがってみる。
が。今週末に社内ゴルフコンペの商品の買出しに行くことに。体力の衰えを感じて仕方ないので。御徒町の街を練り歩いた。宮山さんと。久しぶりに。そしたら結構疲れた。21時半くらいに上野を出て1時間くらいで帰宅。たぶん、上野からだと、船橋に帰る時間は同じくらいだと思われる。駅からの時間も考慮して。
病み上がりのクセして自転車こいだり、歩いたり、ましてやゴルフをしようとしていやがる。なんて思われそうだけど、運動制限も食事制限もないんだよね。むしろ、動け。食え、と。
入院していた影響だろうが、どうもすぐに疲れる。体力が明らかに落ちている。
まだまだ散らかりまくっている部屋の片付けや、生活用品などの買い物をちょっとしただけでやたらと疲れる。ま、1ヶ月も動かなかったからねぇ。
そういや4年前、堕落しまくっていた学生生活が終わり、社会人になったとき。すげぇ疲れた記憶がある。あー今日記見たけど、2001年の4月。2日しか日記書いてないほど疲れている。人間堕落しているとすぐ体力が落ちるってことだな。入院生活中。とくに術後。ベッドとトイレしか往復しなかったからなぁ。
20日の土曜日にまだテレビが見られなかった。なもんだから埼スタまで自転車で行ってみた。15分ほど走ると、その姿は現れた。が。近づかない。いやーつかれたなぁ。あんときゃ。あれですっかり具合わるくなっちゃったもんなぁ。
で。そのテレビが見られないつながり。今日、ようやく。工事。が、なんだか電線工事業者とケーブル会社との手違いで繋がらず。ややオカンムリ。あわよくば16時くらいには繋がって、あわよくばレッズ戦を後半くらいから観られるかなと思っていたのに残念だ。
ま。かるく文句は言っておいた。もちろん、ケーブル会社の方に。軽くね。
掲示板の方でも速報的に報告申し上げましたが、復帰しました。そして出社しております。
引っ越したての我が家ではまだまだまだまだ片付けは進んでおらず、散らかり放題です。当然のようにテレビもネットも開通しておりません。段ボールは山のように積み上げられたままです。
入院中に執筆していた『入院日記(仮)』を今はまとめている最中です。近日中にあげます。なかなかのボリュームとなっております。
プロフィールでは「自分のための日記サイト」という位置付けをしていたのに、ここヒトツキばかりは心配してくれた人へのメッセージ的な役割を果たしてくれました。便利です。web。
だいぶ元気になっていますので、グロイ描画たっぷりのコンテンツをお楽しみにお待ちください。
たぶん週末には。
退院。するつもりではいたが、許可をするのは先生。「したい」といくら思っていたって俺の独断で退院は当然できるわけがない。
朝イチで「卒業試験」と銘を打たれた最後の血液検査があった。最後(にしてもらいたい)の採血。もう何回刺されたことか。この血液検査で問題がなければ退院だと言われていた。あとはいつ退院できるのかということ。今日?明日?
朝食後。気になって仕方がないので看護師に聞いてみたけど、いつ出られるかは先生に聞いてみないと分からないみたいなので聞いてもらえるようお願いした。
いてもたってもいられないのでいつでも帰れるように帰り支度。結構重い。いや、かなり重い。寒いとイヤだから、と持ってきたタオルケットを入れてきた袋を取り出し、そっちにもいれる。パンパン。ギリギリ。重い。来たときの2倍以上の重さ。これは、皆さんの想いの重さです。
今日に限って同じ部屋から2人も退院者が出た。2人とも朝イチで。そのために10時くらいから掃除のオバちゃんが騒がしく出入りをしている。狭い6人部屋。仕切りのカーテンを閉めているから、日常の会話などはほとんどない。もちろん、退院するときも一言もなにもない。だから、最初の頃に出会ったお向かいのベッドのズーキさんは人懐っこいおっさんだったなぁ、とちょっと思い出した。
あれから結構経ったんだなぁ。
なんだかんだで、あれからもう3週間も経ってしまった。
11時くらい。脳外科の部長の先生が来た。血液の検査も問題ないようで「出る?今日帰る?」と言うので、即「はい、帰ります」
最後の病院食。ちょっとね。若干ね。なんとなく、寂しい気もした。いや、変な感覚なんだけど。二度と来たくない場所なんだけど。慣れって怖いね。
結構、いろいろなところで「お世話になりました」って耳にするけど、、、ここで俺が発言した「お世話になりました」はまじめに心がこもっているぞ。本当に。
最後に、看護室の前でちょっと話をして。ちょっと名残惜しかったね。外来のときにでも顔出そうかな。
主治医のニーム先生。ハーシ先生。部長のカーダ先生。看護師のシマッチ、タケッチ、アカッチ、ハシッチ、イワッチ、サトッチ。掃除のおばちゃん。お世話になりました。
(後日追記)
そして、でっかいバック2を抱えて脳神経外科病棟を後にしました。会計窓口では当然、入院費・手術費の支払いなんてできるわけできず、5000円と一筆のみ払って病院を後にしました。
そのとき、家族は船橋で手続をしていて、大宮に向かっていたんだけど、、、とにかく俺は病院を出たかった。待ってりゃいいのに。でも。いたくなかったのよ、病院に。で、結局、大宮駅に行ったものの荷物が重くて、、、何年かぶりの大宮駅も散策できず、、、結局迎えを待っていたと言う結末。
これで入院日記はおしまい。
【おまけ】
入院中訪問者:延べ75人
筋肉注射:3本
採血:いっぱい
点滴の針:いっぱい
座薬:6回
食欲も復活してきた。
昼過ぎにシン君が来た。しばらく外に出ていなかったので、散歩してみた。大宮駅方面に足を伸ばして、ソニックシティのベンチでだらっとしてみた。15時くらいだったけど、すでに西日みたいな太陽光を浴びながら会話。今までずっと屋内にいたから、ある意味新鮮。
夕方、入れ替わりでシゲが来た。手作りTシャツを持ってきてくれた。なんかうれしい。「I Got Over」って書いてある。そうだ。って、いつ帰れるんだろう。早く帰りたいぞ。
まだ帰れない。昼頃に先生がやってきて「万全の状態で出てもらいたいから18日にもう一度採血させて」と仰った。こればかりは仕方ない。お任せした以上、最後まで信頼して診てもらおう。
、、、とはいえ、早く帰りたいというのはわがまま。冷静にまわりを見ると、俺はまだまだまだまだ軽症だ。年齢からみたら、この脳神経外科病棟に入院している患者からはかなり若い。ピチピチ。
朝イチで採血。相変わらず、朝夕の点滴はある。慣れなくないけど、慣れた。
今日は誰もこなかった。
昼飯を食べ終わってマッタリしている時に、看護師のちょっとえらい人だか、指導者みたいな人がアンケートを取りに来た。脳外科とか外科とか形成外科とかは内科とかに比べればアンケート取りにき易いからね、比較的。病院食なんかも見ていると、圧倒的に普通色が多いし。お年寄りはともかく。いや、他の科は知らないから推測だけど。
で、そのアンケートというのが「看護師の髪の毛の色はどこまでなら許せるか」というもの。おもむろに、同じモデルの同じ11枚の写真を見せられる。違うのは髪の毛の色。CGで黒から金まで11段階のグラデーションをつけてある。なるほど、こういうのまでわざわざ作るんだ。と、まずそこに感心した。
結局、仕事ができれば髪の毛の色は問わないと答えたけど。隣のオッサンも同じ回答だった。
(後日追記)
ちなみに、全入院生活を通して誰もこなかったのはこの日だけ。
抗痙攣剤を飲まなくなってからだろうか。食欲は復活してきた。やっぱりアレビアチンのせいか。くそーやつのせいかー。いや、わからないけど。
15時前。シゲとフネが来てくれた。フネ君。パズルは楽しいね。
夕方。前澤さん、宮山さん、志賀、が来てくれた。ありがたいっす。
看護師。白衣の天子とも言われますが。実際に現場で見るのは初めてだけど。"入院"という現場では。やっぱ大変な仕事なんだよなーと思いました。一応、担当してくれた人の顔と名前は覚えているけど。コールしたときに多分、担当じゃない人でも来る場合がある。そういう人でも大概覚えていますので。ええ。物覚えはいい方なので。あー暇人だ。
もう、かなり元気になってきた。あとは食欲が出てくれば。予定では明日帰る気なのだが。。。6人の相部屋でそれなりに入れ替わりがあるのだが、退院時には会計の人がやってくる。俺のところには、まだこない。
看護師の人に聞いてみても「もうそろそろだと思うんだけどね」と。よし。帰るぞ。
ここに初めてきたときに、お向いにいたズーキさんは術後10日で帰った。ありえない、とその時は思ったけど、自分もほとんど同じ境遇だ。帰るぞー。
ズーキさんで思い出した。そのズーキさんは部位は違ったけど、15針くらいの傷口だった。前頭部で。それでも傷はすごくものすごく、派手に見えて。全然、俺のほうがでかいよ。今、そう思った。びっくりした。元気でやってるかな。
昼前くらいにシゲとえっちゃんが来た。昼過ぎくらいに田中さんが来てくれた。夕食後に安斉が来てくれた。
もう、そろそろ帰りたい。
ところが。帰れない。どうも、イマイチ熱が下がらなかったのも感染症予防のための点滴のせいか、あるいは抗痙攣剤のせいか。例の副作用の検査の結果がよくない方に出た。白血球数、赤血球数が減少、とか。なもんで、退院に待ったが。
かなりガッカリで。