diary

台所の流しの下の収納棚。

よちよち歩きの好奇心の塊の姫がその扉を開ける。ボールやタッパーを出す。出す。出す。全部出す。笑う。空になった収納に頭から入る。中でターンして頭を出す。笑う。

ということを横で見ている母ちゃん。

という話を聞いて、「まぁよく許すね」と言うと、「なんで?片付ければいいだけの話でしょ」と。確かに。

ナイロン袋が入った箱を手にすると、坊もそうだったように姫も無尽蔵に出し続ける。やっぱり見ている母ちゃん。

だけど、戸棚も割れ物や刃物が入っている棚は開かないようにしてあるし、開けようとしても止める。ナイロン袋は集めればいいだけので許可するが、ティッシュは使い物にならなくなる場合があるので許可しない。

一見すると自由にやらせているようにも見えるが、ルールは存在する。

過去にも似たようなことを考えたことがあるが、俺ならたぶん戸棚も安全であっても初期で止める。ナイロン袋も同じ。それは、片付けるのは自分であり、それが面倒だからと思うから。

こういうところがすごい。

別のパターンで、「甘やかし」も同じ。
俺の場合、子供らの要求に対してほぼ飲む。たとえば、坊は父ちゃんの携帯電話を見つけると、動画を見せろと言う。父ちゃんは週末であれば見ることを許容してしまう。

母ちゃんはいつでもどこでも一切許可しない。
だから、母ちゃんの携帯を見つけても動画を見せろとは言わない。俺が動画を見せてしまうのは、見ている間は大人しいので、それがちょっと楽だなと思ってしまっているのもあると思う。

妻ちゃんは、視点がきちんと子供なんだよな。
後片付けが大変だとか、与えておけば楽だとかいうのは完全に大人都合の大人視点。

妻ちゃんの育児について、見る人から見れば、自由奔放に放置しているように見えるけど、危険がないような配慮はしているし、公共の場でも周りに気を配っている。

だから、母ちゃんが叱りつければ、しっかりと響く。すぐに大号泣して父ちゃんの元に甘えに来る、、、が最後はやっぱり母ちゃんに戻る。
父ちゃんも結構叱りつけるが、あまり響かずに抵抗される。

視点の話しで考えるとそれも納得で、母ちゃんが怒るときは例外なくダメというときのみ。対して父ちゃんはというと、、、メリハリがない。携帯で遊ぶのも、俺の中では週末だけって決めているけど、2歳児にそんなの分かるわけないもんね。だから、今日はダメっ!というのも分かるわけがない。じゃあ、なんで見せてくれないの!ってなるわけだよね。

まぁ取立てて自分を卑下しているわけでもないのだが、こういう視点はブレがない妻ちゃんは尊敬する。
ただ、そこはやはり完全な人間なんていないもので、ダメダメ流なケースもあるから、そこはしっかり補うのがある意味役目だと思ってもいる。

改めて考えてみると、子供らは妻ちゃんが母ちゃんで幸せなんじゃないかな。