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掲示板の方でも速報的に報告申し上げましたが、復帰しました。そして出社しております。
引っ越したての我が家ではまだまだまだまだ片付けは進んでおらず、散らかり放題です。当然のようにテレビもネットも開通しておりません。段ボールは山のように積み上げられたままです。

入院中に執筆していた『入院日記(仮)』を今はまとめている最中です。近日中にあげます。なかなかのボリュームとなっております。

プロフィールでは「自分のための日記サイト」という位置付けをしていたのに、ここヒトツキばかりは心配してくれた人へのメッセージ的な役割を果たしてくれました。便利です。web。

だいぶ元気になっていますので、グロイ描画たっぷりのコンテンツをお楽しみにお待ちください。
たぶん週末には。

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退院。するつもりではいたが、許可をするのは先生。「したい」といくら思っていたって俺の独断で退院は当然できるわけがない。
朝イチで「卒業試験」と銘を打たれた最後の血液検査があった。最後(にしてもらいたい)の採血。もう何回刺されたことか。この血液検査で問題がなければ退院だと言われていた。あとはいつ退院できるのかということ。今日?明日?

朝食後。気になって仕方がないので看護師に聞いてみたけど、いつ出られるかは先生に聞いてみないと分からないみたいなので聞いてもらえるようお願いした。

いてもたってもいられないのでいつでも帰れるように帰り支度。結構重い。いや、かなり重い。寒いとイヤだから、と持ってきたタオルケットを入れてきた袋を取り出し、そっちにもいれる。パンパン。ギリギリ。重い。来たときの2倍以上の重さ。これは、皆さんの想いの重さです。

今日に限って同じ部屋から2人も退院者が出た。2人とも朝イチで。そのために10時くらいから掃除のオバちゃんが騒がしく出入りをしている。狭い6人部屋。仕切りのカーテンを閉めているから、日常の会話などはほとんどない。もちろん、退院するときも一言もなにもない。だから、最初の頃に出会ったお向かいのベッドのズーキさんは人懐っこいおっさんだったなぁ、とちょっと思い出した。

あれから結構経ったんだなぁ。

なんだかんだで、あれからもう3週間も経ってしまった。

11時くらい。脳外科の部長の先生が来た。血液の検査も問題ないようで「出る?今日帰る?」と言うので、即「はい、帰ります」

最後の病院食。ちょっとね。若干ね。なんとなく、寂しい気もした。いや、変な感覚なんだけど。二度と来たくない場所なんだけど。慣れって怖いね。

結構、いろいろなところで「お世話になりました」って耳にするけど、、、ここで俺が発言した「お世話になりました」はまじめに心がこもっているぞ。本当に。

最後に、看護室の前でちょっと話をして。ちょっと名残惜しかったね。外来のときにでも顔出そうかな。

主治医のニーム先生。ハーシ先生。部長のカーダ先生。看護師のシマッチ、タケッチ、アカッチ、ハシッチ、イワッチ、サトッチ。掃除のおばちゃん。お世話になりました。


(後日追記)
そして、でっかいバック2を抱えて脳神経外科病棟を後にしました。会計窓口では当然、入院費・手術費の支払いなんてできるわけできず、5000円と一筆のみ払って病院を後にしました。

そのとき、家族は船橋で手続をしていて、大宮に向かっていたんだけど、、、とにかく俺は病院を出たかった。待ってりゃいいのに。でも。いたくなかったのよ、病院に。で、結局、大宮駅に行ったものの荷物が重くて、、、何年かぶりの大宮駅も散策できず、、、結局迎えを待っていたと言う結末。

これで入院日記はおしまい。

【おまけ】
入院中訪問者:延べ75人
筋肉注射:3本
採血:いっぱい
点滴の針:いっぱい
座薬:6回

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食欲も復活してきた。
昼過ぎにシン君が来た。しばらく外に出ていなかったので、散歩してみた。大宮駅方面に足を伸ばして、ソニックシティのベンチでだらっとしてみた。15時くらいだったけど、すでに西日みたいな太陽光を浴びながら会話。今までずっと屋内にいたから、ある意味新鮮。

夕方、入れ替わりでシゲが来た。手作りTシャツを持ってきてくれた。なんかうれしい。「I Got Over」って書いてある。そうだ。って、いつ帰れるんだろう。早く帰りたいぞ。

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まだ帰れない。昼頃に先生がやってきて「万全の状態で出てもらいたいから18日にもう一度採血させて」と仰った。こればかりは仕方ない。お任せした以上、最後まで信頼して診てもらおう。
、、、とはいえ、早く帰りたいというのはわがまま。冷静にまわりを見ると、俺はまだまだまだまだ軽症だ。年齢からみたら、この脳神経外科病棟に入院している患者からはかなり若い。ピチピチ。

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朝イチで採血。相変わらず、朝夕の点滴はある。慣れなくないけど、慣れた。
今日は誰もこなかった。

昼飯を食べ終わってマッタリしている時に、看護師のちょっとえらい人だか、指導者みたいな人がアンケートを取りに来た。脳外科とか外科とか形成外科とかは内科とかに比べればアンケート取りにき易いからね、比較的。病院食なんかも見ていると、圧倒的に普通色が多いし。お年寄りはともかく。いや、他の科は知らないから推測だけど。

で、そのアンケートというのが「看護師の髪の毛の色はどこまでなら許せるか」というもの。おもむろに、同じモデルの同じ11枚の写真を見せられる。違うのは髪の毛の色。CGで黒から金まで11段階のグラデーションをつけてある。なるほど、こういうのまでわざわざ作るんだ。と、まずそこに感心した。

結局、仕事ができれば髪の毛の色は問わないと答えたけど。隣のオッサンも同じ回答だった。


(後日追記)
ちなみに、全入院生活を通して誰もこなかったのはこの日だけ。

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抗痙攣剤を飲まなくなってからだろうか。食欲は復活してきた。やっぱりアレビアチンのせいか。くそーやつのせいかー。いや、わからないけど。
15時前。シゲとフネが来てくれた。フネ君。パズルは楽しいね。
夕方。前澤さん、宮山さん、志賀、が来てくれた。ありがたいっす。

看護師。白衣の天子とも言われますが。実際に現場で見るのは初めてだけど。"入院"という現場では。やっぱ大変な仕事なんだよなーと思いました。一応、担当してくれた人の顔と名前は覚えているけど。コールしたときに多分、担当じゃない人でも来る場合がある。そういう人でも大概覚えていますので。ええ。物覚えはいい方なので。あー暇人だ。

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もう、かなり元気になってきた。あとは食欲が出てくれば。予定では明日帰る気なのだが。。。6人の相部屋でそれなりに入れ替わりがあるのだが、退院時には会計の人がやってくる。俺のところには、まだこない。
看護師の人に聞いてみても「もうそろそろだと思うんだけどね」と。よし。帰るぞ。

ここに初めてきたときに、お向いにいたズーキさんは術後10日で帰った。ありえない、とその時は思ったけど、自分もほとんど同じ境遇だ。帰るぞー。

ズーキさんで思い出した。そのズーキさんは部位は違ったけど、15針くらいの傷口だった。前頭部で。それでも傷はすごくものすごく、派手に見えて。全然、俺のほうがでかいよ。今、そう思った。びっくりした。元気でやってるかな。

昼前くらいにシゲとえっちゃんが来た。昼過ぎくらいに田中さんが来てくれた。夕食後に安斉が来てくれた。

もう、そろそろ帰りたい。

ところが。帰れない。どうも、イマイチ熱が下がらなかったのも感染症予防のための点滴のせいか、あるいは抗痙攣剤のせいか。例の副作用の検査の結果がよくない方に出た。白血球数、赤血球数が減少、とか。なもんで、退院に待ったが。

かなりガッカリで。

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たまにだけど、頭痛がくる。朝食後、その頭痛が来た。もううざいので、さっさと鎮痛剤をもらった。かなりのヘタレ、だ。傷が痛いんだけど、ズキズキ痛いのではなくて内側からレッキングクルーのマリオみたいのがコンコンコンコン叩いてくれている感じ。非常に不快で、寝ているときにくると眠れなくなる。そうそう、風邪引いたときの頭痛に似ている、けど熱はない感じ。バファリン系の痛みだと表現されたが、よく分からない。
これ、一度切られた神経がくっつくときに起きる影響だそうで。「イタタタタ」ってのじゃないんだよ、ムカつくんだよ。「これがなければねー」って看護師のたぶん、師長さんにぼやいたら「頭開けてまだ1週間なんですからー」ってかわされた。

と、結構いろいろ小うるさいことが言えるほど元気になってきて、そろそろ会社に行きたくなってきた。というか、入院前の想定では退院は明後日だ。そろそろお会計の人が退院の手続きをしに来てもいい頃じゃないかと思ってもこないんだよなぁ。

夕方、ミエコとひーちゃんが来て、先生の話を聞きに。術後の経過は非常に良好。しかも、腫瘍は良性。傷も順調にふさがっており、本日より条件付きでシャワーOK・シャンプー可。3日以来の風呂。発熱しまくって発汗しまくったから気持ち悪いったらありゃしねぇっての。で、条件とは爪を立てて洗わない事ないこと。無理だよ、、、大体、、、水につけること自体、、、、怖いのに。。。

と。風呂に入ろうとしたらヤスダが来てくれた。遠目にいる俺に気づかない。それは奴の目が悪いのに加えて俺の頭髪が無いから。とりあえず、個室シャワーの予約時間ははずせないので、ベッドで待っていてもらうことに。ミエコとひーちゃんがいたけど。

久しぶりのシャワーは気持ちよかった。が、頭を洗うことは怖かった。頭を水につけるのは怖かった。だから、切っていない左側の方からオソルオソル徐々に攻めていく。側頭部。頭頂部。ヨードチンキの混じった茶色い水が流れてきた。

凍みはしない。痛くもない。なんか怖いだけ。とりあえず、軽く擦ってみる。よし。とりあえず、終了。ほとんど水に浸しただけ。でも、気持ちさっぱり。ヨードチンキは落ちた。フケはあまり落ちていない。

部屋に帰り、ヤスダと談笑。仕事の話しもする。家族以外でこの生々しい傷を一番最初に見たのはヤスダが一号だ。おめでとう。ヤスダ。でもグロイのはキライみたいね。せっかくなのに凝視はしなかった。

夜。夕飯後。ヒサが来た。昨日もって来てくれたウドンの丼の回収に来た。ごちそうさまでした。


【傷跡】
brain003抜糸したのは11日で、傷が30cmもあると知ったのはその11日。だけど、バンソウコが取れて自分の目で見ることができたのはこの日。でも傷の場所が場所だけに鏡は合わせないと見ることができない。手鏡なんか持っていないし。
そこで、看護室に行って借りようとした。が、ないらしい。えーあるだろ。うー。見たい。どんなにがんばっても、後頭部は見ることができない。そこで、デジカメで自分撮りを試みた。かなり何度も。その瞬間。カーテンを開けられて非常に恥ずかしい思いをした。

もちろん、撮ってもらった。

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熱はいい感じ。もう夜中の発熱はない。ただ、夜中に突然、頭痛により起こされる。熱はなさげ。結構うざい頭痛で小1時間くらい戦ってみたけど勝てず、鎮痛剤をもらう。情けなや。
傷自体の痛みはあるけど、それは仕方ない。大体、まだパックリいってから1週間しかたってないんだから。で。その"まだ"1週間しかたっていないんだけど、本日は抜糸。糸が取れます。

午前中。10時ごろ。お呼びがかかる。処置室にて主治医の先生じゃなかったけど、最初の話だとこっちの先生が主治医になりそうな展開だった。たぶん、そんな感じだった。今となれば、どちらの先生でも十分に信頼できると思うな。

で。おもむろに傷口に張られたバンソウコを剥がす。消毒。ヨードチンキを塗りだくる。もう表皮の痛みは全くない。

生まれてこの方健康優良児だった俺。抜糸も初めて。ぱちッ。ぱちッ。っとはさみが入る。で、ピンセットみたいなのでククっと軽く引っ張る。痛みはほとんどない。ただ、皮膚の薄いコメカミ近辺は多少痛かったけど。

さて。

手術が終わってから今まで2回ほど傷口の消毒をしてもらった。消毒の際には当然、傷口を触られる。その触られた感覚から大体15cm程度頭を開いたのかなと思っていた。

開頭時に具体的に何センチ頭を切るのかは聞いていなかった。いや、、、今よく考えると、、、おかしいな、それも。頭内部の腫瘍の大きさや、成長具合。さらに、脳の血管の配置に関しては事細かに説明を受けたけど。

頭をどう開くかは聞いていなかったぞ。

いや違うな。

頭をのどこをどれくらいの長さに渡って切るのかを聞いていなかった。

でも、これはそのときには大したことではなくて。もう一刻も早く異物を取ってもらいたかった。そして、手術が終わった後も、消毒されているときも「切られた傷はこんなもんかなー」程度の感覚で、具体的にどれくらい切られたのか興味が薄かった。具合が悪くなっちゃったし、腫瘍が良性か悪性かとかいう問題もあったし。

術後、お見舞いに来てくれた人には傷の程度についてこんな情報を伝えました。もちろん、自分のイメージのみで。独断で。右手で人差し指と親指でアルファベットの「C」を作って(大体長さ15cmのシーの形)、「こんなかんじ」だと。消毒で触られたイメージだとこんな感じだったんだって。

そして。

ぱちっ。ぱちっ。ぱちっ。ことのほか長い。ここは脳外科。他の患者の傷を見ていても分かるけど、大体1cmで1針くらい。15は越えたよ。そこで聞いてみた。

「先生、これ何cmくらいで何針なんですか?」
「えーとね、直線にしたら30cmくらいで縫ったのは30針くらい。」

イメージより倍でした。

まー、散々前述したけどねぇ。今聞くことじゃないけどねぇ。何cm切ったとか、何針縫ったとか。今聞くことではなかったかも。しかし、30cmか。でかいな。バンソウコ張られたので今日の目視確認はオアズケ。

夕方、ひーちゃんが来た。ヒサも来た。またもやうどんを持ってきてくれた。今度は卵とじだ。しかし、今日はとくに食欲なし。約束はしていなかったけどおそらく持ってくるだろうと予想していたので、帰ろうとするひーちゃんを引き止めておいたのです。だって、残したくないんだもの。一口いただきました。ごちそうさまです。

19時過ぎくらいにシンが来てくれた。あーだ、こーだ、ちょっと、いろいろ話をして帰っていった。

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人間の体ってすげえなぁ。抗生剤を変えて薬を飲まなくなったら発熱しなくなった。あっさりと。
もうここには書かなくなっているけど、毎日朝夕の2回、点滴。針を刺す。普通のように針を刺す。慣れたかぁないけどね。慣れてきてしまったのもいやだなぁ。イヤなのは、異物(針)が血管の中にしばらくの間いるってことだな。だから点滴が終了したらすぐに取ってもらうように呼ぶ。即、呼ぶ。異物感は痛みより耐え難い。

本日は朝から血液検査。静脈にぶすっ。で。採血。採血が終わったら、そのまま今度は針を抜かないで点滴。まさに逆流だね。これで空気が入ったら医療ミスなんだよなぁ、と正直何度か考えましたけど。そのあたりはプロですからねぇ。それこそこれだけデカイ病院で1日に何回ものその作業をしているものか。でも慢心は怖いけど。

熱はそれなりにひいてはきたものの、食欲はイマイチ戻らない。もちろん、発熱時よりはなんとか入るようにはなってきたけど。でもなんだか、食べ物をイメージするとオエッってなるような感じな食欲のなさ。まるでツワリだ、との意見もありましたが。なんだか本当に喉を通らない。とくに米。なぜか通らない。オエってなっちゃうだよなぁ。

午後になって若干具合が悪くなり気味になったので寝ていたらムラセアユコが来てくれていたみたい。運良く起きたらまた会えたからよかった。看護師の人に若干冷やかされ。うれしはずかし。

夕方。そこにヒサがうどんを持ってきてくれた。食え、と。食欲がないことを心配してくれて。ちょっと時間はかかったけど、普通の病院食よりは断然に食べやすかった。当然、病院の夕飯は全残し。うどん食べなくてもたぶんそんなに食えなかった。

夕飯後。ぼーっとしているところに先輩と聡が来てくれました。普通に会うだけでも数年ぶりなのに、再開が病院とは。先輩は引越しの際に非常にお世話になりました。もちろん、引越しの時には俺は寝ていたけどね。涙。

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やっぱり夜中にアレを投下。6発目。
で。結構な時間、熱が引かないので抗生剤を変更することになり、経過を見ることになった。

夕方。ヒサが来た。そしてタモンが来た。なんとまぁ3年ぶりに会ったっていうのに、まさか病院とは。でもみんなそうだけど、本気で心配してくれたみたいで。冗談でもネタでもなく、ココまで涙を流すとは正直言って思ってもいなかった。

そうこうしているうちにミエコとひーちゃんが来た。が、すぐ帰った。タモンと面会時間いっぱいまで話をした。本当に久しぶりだった。

個人差もありはするけど、術後3日くらいまでががキツイってきいていたのに、、、もう5日キツイままだよ。先生によるとこれは感染症対策のための抗生剤、あるいは抗痙攣剤の副作用的なものらしい。冒頭でも述べたけど、そのために今日から抗生剤を違うものに変更。抗痙攣剤の服用を一時的にヤメ。という措置が今日からとられることになった。

まぁ。なすがままというか。

正直。好きな人はいないと思うが病院は大嫌いだ。だから多少体調が悪くなたって極力行くことはしない。さらに薬も大嫌いだ。だから多少体調が悪くなったって極力飲むことはなしない。でも、実際問題。本当に限界近くまで体調悪くなったら病院行くし、薬も飲むけどね。病院に対していいイメージがないのは何でだろうなぁ。その根本はなんなんだろう。

でも。いくら病院が嫌いだとかいたって結局のところ頼らざるを得ない。信頼せざるを得ない。まして今回なんかはさほど小さなことではないと思われる。

イメージ先行のケースはよくあるもので、8月に桃狩りに行ったときに初めて桃をおいしいと思った。それまであまり桃をロクに食べもせずイメージだけでキライだと思っていた。それとはまた違うけど、実際に病院に入って。医療の現場の中のイメージではなくてその実際を見た。そりゃ、病院だけにそれをみて"キライ"が"スキ"にはなることは残念ながらならないけど。あーでも、こーなんだなぁと。

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なんかゼンゼン熱が引かない。ゼンゼン頭が痛い。そして例によって眠れない。すでに常習的になってきた真夜中の座薬投下。5発目。今回のは結構引かない熱野郎に対して挑戦的な大型爆弾。もちろん、効果は覿面だが、、、投下時に、、、反動がね。痛いんだよ。
夜中にでかい爆弾を投下したおかげで今日の昼間は昨日までとは比べてまだ楽だ。

なのでそのスキに溜まりまくっている洗濯物と、ウィダーインとカロリーメイトの買出しを敢行。熱は座薬で抑えても、食欲が全くない。水は飲めるから、流動食で強引に入れるしかない。だから、ウィダーイン。なんとかたんぱく質を摂取しようと努める。何度もいうけど、栄養点滴は絶対にイヤだ。

薬で抑えてはいるけど、内部的な熱からくる倦怠感・気だるさ。そのせいでおかげで日中も寝てしまう。もちろん、傷は痛い。薬が切れると38℃台の熱。物心がついてから、38℃台の熱を出したことはあるけど、これほどまでに長い時間はさすがにない。熱の出し慣れなんてしていないもんだから、キツイ。

夕方。ヒサが来てくれた。病院に家が近いとはいえ、これほど頻繁に来てくれると悪い気もするけど好意だからそういうことは言わない。この夫婦は決して2人揃って訪れることはない(アヤネがいるからね)が、来たときには必ずこの言葉を残して帰っていく。

「洗濯物ある?あればもって帰ってやるよ。」

いいから。自分でやっているから。もちろん、その気持ちには感謝しきり。