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熱が引かない。頭が痛い。眠れない。またしても夜中の座薬投下。3発目。経験的に座薬は投下してから大体10時間くらいで切れる。
その10時間後の昼前。ぴったり、予想通りに発熱。そして昼間ッから座薬投下。4発目。もちろん、ごはんは全く食べることができない。グッタリ。と。そのときにクマ・ハチの2人がきた。「あーごめん。1時間くらい時間つぶしていてくれる?」と言ったっきり、再びグッタリ。

一時的に熱が冷め、目が覚めたのは約2時間後だった。本当に申し訳ない。置き手紙が残っていました。

と。置き手紙をモタイさんが来てくれた。間髪いれず、フネ、ヒグチが来た。さらにはノブが来て。最後にはしばちゃんとムラヤスが来てくれた。皆さん、本当に感謝です。

ホント、タイミングが悪いというかちょうど発熱しているときに来てもらったクマハチには申し訳ない日でした。

また、実は昨日、今日とウチの引越しの日。そんな重要な日に、一家に唯一の男子が病院で寝ている。引越しには地元のボーイ時代の先輩・同輩・後輩が助けに来てくれた。さらにミエコ関連の友人とヨシハルも手伝ってくれた。しかも2日間も。これには言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

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昨日の夕飯後から徐々に上がってきた体温が夜中にピークを迎えた。傷の痛み。傷とは違う内側からの頭痛。眠れない。38.6℃。
あまりにもつらいのでナースステーションまで氷枕をもらいにいった。まぁ、冷たさで誤魔化せばなんとかねむれるのではないかなぁ、という考えで。

「すいません。氷枕ください。」
「熱でたか。測った?」
「38.6℃でした。」
「えーとね。そういう時はナースコールのボタンを押して呼んでね。」

なんかナースコールは押したくない意識が強かった。極力。自分で動けるときはなるだけ動く。なんか病人みたいじゃない。まぁ、病人といえば病人だけど、オレの認識では今はけが人。

で、結局。明け方。3時くらい。あまりにつらくて、、、ナースコール。今回2発目の座薬投下。いや、座薬。あまりキレイではない話、オレは肛門が非常にナーバスな状態に常にある。なので投下は結構痛い。

だけど、投下後。約30分ほどガマンすると、恐ろしいくらいの汗が出てくる。解熱に伴う発汗。気が付けば6時。大量の汗とともに熱は引いていた。かなりラクになった。だが、食欲はまったくなくなった。

午前中。下着のストックが後1着になっていることに気付いた。またいつ熱が出てくるかわからない。ある程度引いているうちに洗濯しないと。ということで洗濯した。

昼過ぎ。本日はレッズ戦がある。NHKで放送される。観なきゃ。試合開始は14時半。テレビをつける。が、発熱。眼球を動かすと気持ち悪い。仕方なく、、、前半10分で断念。寝ました。

夕方。若干ラクになった。ちょうど目を覚ましたくらいにシゲといずみちゃんが来てくれた。と思ったら続けざまに元ちゃんも来てくれた。家族以外にボーズ初お目見え。さらに続けざまにカナ&モーリー夫妻が来てくれた。本当に励まされます。

夕飯もあまり食べることはできなかったが、栄養点滴は絶対にイヤなので無理やり入れる。薬が切れていたようで、若干熱っぽくなる。なるだけ体力を温存すべく横になる。アイスノンを乗っけて。と、なんとホンダさんが来てくれた。感謝です。

大体、キツイのは術後2~3日。そう聞いていた。今日で術後2日目。明日になればラクになるだろう。

術後、しばらくの間、感染症防止のために抗生剤の点滴を朝夕の2回投与される。手術前に刺した点滴の針はまだ刺しっぱなしで残っている。そこから毎回管をつなげば、わざわざ毎回抜き差しせずに点滴ができる。衛生上の都合で4日以上は刺しっぱなしにはできないそうだが。

だけど、オレは毎回抜き差しすることを強く望んでとってもらった。まー確かにチクチク多少は痛いのだけど。4日間も自分の体の血管の中に針が刺さっている状態なんて冗談じゃない。針が刺さっているのは点滴されているそのときだけで十分だ、ということで。

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寝たような眠れないような、そんな夜がようやく明けた。何度時計を見たことか。術後間もないこともあり、夜も1時間おきくらいに検温と血圧測定で起こされる。いや、起こされるようなすでに起きていたような。
7時ごろ。血を抜かれる。あまり考えなかったけど、今回のこの事態発覚から何回体に針を刺されたことか。

8時ごろ。眠れないしヒマなので、差し入れの本を持ってきてもらった。今までにそんな人はいなかったようで笑われたけど。でもこれは強がりなどではなく、、、本当にヒマだったの。痛くて眠れないし。首痛いし。

10時。CTを撮りに移動。まだ、頭から管が出ている。自力で起き上がることはまだ許されない。ストレッチャーで移動。撮影。で、また回復室へ。

11時。先のCT写真を見た先生がやってきた。とくに問題はなさそうとのことで、頭の管を抜いた。傷から頭の内部に入った管。血がたまらないように入っていた管。それがようやく取れます。当然のように麻酔なしで。

「はいちょっとしみるよー」と消毒。その後、キュキュッと管が抜けていく感触。痛かったけど、尿カテより100倍以上痛くない。ゼンゼン楽。そしてそのまま1針縫う。すごい手際でかなりあっという間だった。まーそりゃ慣れているんだろうけどさ。

聞くところによれば年間に300件くらいの脳外科手術をするらしい。にわかには信じ難いが、そうらしい。そうすると慣れるってのもうなずける。若干ね。しかし、300件て。一年のうち6分の5の時間も脳ミソ開いているのか。それはそれでイヤな職業だな。でも、おかげで助かりました。

まーこれで点滴以外の管が抜けた。起き上がることを許される。そして、術後まだ24時間も経っていないのに食事を許される。

まず起き上がり、自分の足で自分の一般病室のベッドに帰る。ややふらついたけど、それはずっと寝ていたから。たぶん。そして昼食。正直、やっぱり傷が痛いのであまり食べることができなかった。でも栄養点滴は絶対にイヤなので頑張って口から栄養を摂取しようと努めた。

午後はミエコとひーちゃんが来てくれた。痛かったけど、それなりに会話ができたのは薬が効いていたからなのね。夕方に帰っていった。

そして術後1日目の夜を迎える。予想通り発熱した。

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オペ日。6時起き。

7時半にオペ着に着替える。そして頭を剃りに行く。と、ツルツルになってベッドに戻ると、シゲがいた。当日まできてくれたのね。さんきゅう。8時。点滴開始。8時半。筋肉注射。9時前。ストレッチャー到着。たぶん9時すぎ。オペ室へ到着。

到着後。助手の人が「よろしくおねがいしまーす」。心電図、血圧計などを装着。酸素吸入開始。麻酔科医の先生から「今酸素。ゆっくり深呼吸して」。その1分後くらいに「今から薬行くからね」の後、記憶なし。

あっという間に起こされる(時間の経過を感じない)。経過時間は予定通りの3時間半(その場で聞いた)。オペ室。頭がガンガン痛い。吐き気もする。かなり意識朦朧としながらもいきなりピースサイン。あほか。というか。もう、精一杯の強がり。『えーかっこしー』ではないけど、ただでさえ情けない姿に弱気な発言やらしてもどうかなぁと思っていたので。

それと。やっぱり脳みそを開いたわけで「もしかしたら左側に痺れが出るかもしれない」とも言われていたから、まず動かした。それがピース。次に言葉。「言語には問題ないだから」とは言われていたけど、不安は不安。なのでいろいろ喋った。

そして先生。「予定通り終わったからね。腫瘍もとれたから」とビンに入った液体づけのオレが10年間共にした腫瘍を見せてくれた。その場で写真を撮らせてくださいとお願いし、笑われながら承諾された。

その後CT室に移動。輪切り撮影。そして今までいた病棟の、回復室というところに戻る。そこには家族とシゲがいた。まず、そこに運ばれてきてのひとこと目が「シゲ。。」だった。家族ショック。いや、これはシゲに託していたデジカメで今のオレの情けない姿と摘出した腫瘍を写真に収めてくれという意味だったのよ。うん。そしてしっかり収めてくれた。

グロい。直径3センチのピンポン球くらいの大きさだった。でかい。ありえないほどでかい。これが、オレの頭の中に10年以上もいたのか(先生談)。こええ。

徐々に意識がしっかりしてくると、体から何本か管が出ていることに気付く。気道と食堂にそれぞれ管。頭の傷から血を抜くための管。尿道から管。まず気道・食堂の管を抜かれる。若干苦しい。オエッって感じ。点滴の管。痛み止めの座薬と、吐き気止めの点滴開始。

頭はでかい傷があってそこから管も出ている。動かすと痛いし。なのであまり姿勢を変えないようにして寝ている。傷は右後頭部。だから左側を向いて寝ている。傷をケアするように首に力を入れているから、とにかく疲れる。

そして尿道カテーテル。これはいやだなぁ。。ものすごい違和感。自分の意志とは関係なく抜かれる尿。なので、術後まだ2時間しか経過していないにもかかわらず、撤去を要請。「自分でできるから」と。意外と意識もしっかりしているということで抜いてもらったが、これが痛い。たぶん、人生痛さランキングでもかなりの上位。ホントに痛かった。

まだ麻酔が抜けきれていないのでたまに落ちる。が、1時間くらいで起きる。痛くて。首が疲れて。そこから痛いのと戦いながら時間の経過をただひたすら待つ。これがつらい。ここから長かった。オペが終わり、回復室に戻ったのが13時くらいだから、そこから翌朝の7時くらいまでまず最初の地獄。痛いのとヒマなのとで。


<<後日追記>>
【剃毛(上)】
剃りたて。現時点でオペ1時間チョイ前。かなり緊張気味。そして、このあと、消毒をしました。エタノールをベタベタ塗りだくられました。剃刀負けがものすごく(多少血も滲んでいます)痛かった。
この時点で身内は誰も病院に到着しておらず、看護師さんに撮影をお願いしたところ笑われました。まぁ、笑うなよ。

【10年】
前日の説明ではどんな感じの手術になるかなどの説明を一通り受けた。最後になにか質問はないかと聞かれたのでこれほどの腫瘍がどれほどの年月をかけて大きくなったのかを訊ねてみた。

「んー10年。少なくとも10年、、以上。」
一族、絶句。あ、そんなに飼っていたんだ。

人生をやり直せるとしたら、少なくとも10年以上さかのぼらなきゃダメだな。絶対に。とか考えてみたり。
でも10年て、、、長いね。

【摘出した脳腫瘍(10年モノ)】
腫瘍の写真は本文にあるように親友であるシゲが撮影してくれました。写真を撮らせてくれというお願いを先生は本当に聞いていてくれて、シゲに撮らせてくれた、ということです。
で、シゲは脳神経外科のナースステーションに行って、周りの看護師たちの「なんだコイツ?」という目を気にしながら、3枚も撮影してくれました。3枚も。当然、俺はそのときには下の写真のようにグッタリしていたわけです。

そして術後、家族が主治医に呼ばれ、結果が報告されました。その場にシゲはいました。ええ、いたそうです。もう、家族ですね、こいつぁ。だから、ここの掲示板にハッキリ「手術は成功」って書いてくれたんですね。

手術直後の主治医の結果報告。
結構な手術で、普通は家族しか聞かないだろうし、家族だって「ちょっと外で待っていてね」とか言うんじゃないんですか?いいえ。ウチの母は、シゲに対しこう言い放ったそうです。

「あんたには聞く権利があるから入りなさい」

【手術直後】

痛々しい。
頭から管が出ています。いたそう。これ、邪魔だった。後は心電図の吸盤とか。手前のピンク色のトレイは緊急嘔吐用。出なかったけど。
 
 
 
 
 
 
【もうひとつの傷跡】
メインの傷跡の他に右コメカミに1針分の穴と左耳の上あたりにこれまた1針分くらいの傷がある。また、管が出ていた場所とは別で。
手術台で全身麻酔がかかった後、頭を開く。骨を開く。そのためにしっかり頭を固定する。固定する。万力みたいな装置で、頭をはさむ。それが、右のコメカミ、左の耳の上あたりに刺さる。しっかり固定するから、穴があく。そういうことらしい。

手術後、上写真のような格好でしばらく寝ることになった。
右写真は数日経過した後の写真(3~4日)。

だが、なぜか左側も痛い。その理由が、、、マンリキ(のようなもの)による頭の固定らしい、と。
センダ氏だなんてカタイ言い方はしないで、センちゃんですな。

【輸血】
輸血はしなかった。そのための血管造影検査。
前日の説明でも、それ以前の説明からも「もちろん準備はするけど、入れる予定はないからね」と先生は仰っていた。だが、「多少、出血してもいけると思ったら入れないからね、その場合結構つらいかもしれないけど、長い目で見たら多分、いいと思うから」とも仰っていた。

もちろん、「入れない方向」で同意。イヤだもんよ。最終手段でお願いします、と。

【尿道カテーテル】
全身麻酔、あるいは下半身麻酔など、要は垂れ流し状態になる場合に尿道に”管”を挿入する。
まぁ、噂には聞いていたけど、これを抜くのがホント今回、すべての出来事を通して何よりも一番痛かった。まぁ、ある意味、物理的にも精神的にも。これはもう一生イヤだ。足は絶対に怪我しちゃいけない。

でも、どっちかと言うと、触られたとか見られたとか言うのはどうでもよくて(減るもんじゃないし)、とにかく物理的に痛かった。

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やっぱり6時に目が覚める。というか、何時間かおきに目が覚める。
明日か。徐々に、なんとなく落ち着かなくなる。早起きなものだから、午前が長い。そんな滅入り気味な10時半ごろ。ヒグチが来てくれた。早い。朝イチだ。うれしいねぇ。だらっと会話を開始したらすぐに大脇さんが来てくれた。超感謝。

大学の同輩・ヒグチ。会社の上司・大脇さん。三角で会話。しかし、そこはヒグチと大脇さん。あわせてくれました。わざわざきてくれたのに気を遣わせてしまって。二人とも12時ごろに帰りました。

13時半。ムラヤスとえんちゃんが来てくれた。少し話すが、14時。Jリーグカップ(ナ杯)。食堂のテレビで観戦。延長・PKまでやって負け。悔しすぎ。マジ悔しすぎ。17時まで2人はいれくれた。

17時半頃。シゲとえっちゃんが来てくれた。これほどたくさんの励ましの来訪。本当にうれしい。メシの時間と重なってしまったので悪いと思いつつ、、、食う。と、シンが来てくれてすぐ帰っていった。明日がオペだからと来てくれた。感謝。オレのベッドスペースでシゲ・えっちゃんと話をしていると、、、なんと前澤さんと志賀が来てくれた。突発的に。これにはやや驚いたけど、うれしい。

微妙な組み合わせのまま面会時間いっぱいの20時まで4人ともいてくれた。もうその頃になると、オレは落ち着かなくて仕方ない。もちろん、明日の手術のことでお腹いっぱい。

今日は午前中から会いに来てくれた人がいたのであっという間の1日でした。

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入院6日目。結構いろいろ慣れてきた。慣れたくはないけど。
7時。朝食。朝食後。ヒマなのでマガジンを買いに売店へ向かう。明日は祝日なので。病院の売店は本館の地下1階にある。いま、オレがいる2病棟4階からは1階までしか降りることができない。そこから本館に移動し、本館の階段で地下に潜る。

決して看護師の人は教えてくれないけど、もう1本のルートがある。今いる2病棟4階から階を移動せずに3病棟に移動し、そこからエレベーターに乗る。するとそこからは地下1階に行くことができる。そこからは1本道で売店にたどり着く。こちらのルートのほうが乗り継ぎが少なくて1本道で若干のお得感がある。でも。教えてくれない。これは退院しちゃったズーキさんが教えてくれた道。

それはそのエレベーターの1階は無菌状態の手術室のフロアでも降りることができてしまうから。まぁ、エレベーターで先生に会っても何も言われはしないけど。で。そのエレベーターから降りた後の売店までの道のりに霊安室がございます。非常に気味が悪いんですが。でも近い(気がするので)、毎日のように通っています。

ハッキリ言ってこの道、看護師か先生、もしくは一部の入院患者しか通らないと思われるんですよ。一般外来の患者はもちろんのこと面会人だって絶対通らない、と思うんですよ。あの通路は。

ところが。昨日、通ったときに不思議なものを発見しました。なぜか。なぜか。野菜を売っている親父がいるんですよ。ネギとかキャベツとか。あ、シイタケもあった。とにかく、結構な量を通路のちょっと広がっている部分に広げて商売らしきしているんですよ。

そして。買っているおばちゃんがいるんですよ。何を見ているんだろう、オレ。口コミで密かに安く買える八百屋なのか?ここは。でもね。霊安室のモロ隣で野菜並べているんですよね。
そんな風景を今日も見ました。今日は買っているヒトいなかったけど。商売になるのか。いや、見えちゃいけないものなのか。謎は深まる。明日いたら聞いてみよう。

9時。風呂に入る。9時半時。洗濯開始。パジャーマとパンーツ。10時20分。乾燥機開始。前回、あまり乾きがよくなかった方の乾燥機は避ける。かつ、途中で開けると冷めてしまい、効率が悪そうなのであらかじめ90分にセットして放置。開けない。

11時45分。昼食。おでん。漬物。ごはん。

12時。乾燥機に行く。また、表示がバグっている。90分にセットしたが、まだ86分だ。あれ?これカウントダウンじゃなくてアップだったか。と思っていたら85分になった。うん?

よし。洗濯もう1周いけて、乾燥機代を浮かせられる。ということでジャージとフリースも洗濯開始。

12時50分。洗濯終了することなので見に行く。あれ?乾燥機の残り時間表示が53分になっている。なんとなく、そんな気がしたのだが、、、1回開けたときから正常にカウントダウンしだしたな。しかし、これは今後のためになった。1度も開けなければ90分でも4分しかカウントが進まないこと。乾きにくいものも時間差でお安く乾燥機を使える。、、、いいのか、オレ。いや、いいんだ。お金は大事だ。

14時ごろ。イズミちゃんがまた来てくれた。仕事の合間だそうで。公的な医療費についていろいろ調べてくれたようで、丁寧に教えてくれた。さんきゅう。15時に再び仕事だと帰っていった。

16時。シゲとコバが来てくれた。結婚式以来だ。17時ごろ。家族が来た。先生にこれまでの検査結果を聞きに行く。ちょっと怖い。まぁ、現時点では陽性の確率がかなり高い、と。

後は、術後のこととか。後遺症とか。結構現実味を帯びてきて怖くなってきた。けど。手術自体は全身麻酔なんだよね。なんだろな、このビミョーな心理状態は。

家族もシゲ・コバも18時20分くらいまでいてくれた。同時に帰っていった。我が家の引越しは6日に行われるけど、なにもできない俺。チカラ仕事もそうだけど、引越しに関するいろいろな手続き。それに絡めない俺。もどかしい。そして家族をはじめ、いろいろな人に支えられているのだなぁ、と改めて認識。もう。感謝してもしきれないくらい。

で。ジャージをずーと乾燥機に入れたままでした。

そういや、朝からの微熱が下がらない。37.4℃。薬を飲まされる。

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やっぱり6時半起き。
7時朝食。8時半。検査のお呼ばれ。今日の検査は「タリウムシンチ」。RI検査っていうんだって。要は放射性同位体(RI=ラジオアイソトープ)を体内に入れ、γ線を照射してその内部構造を知ろうというもの。腫瘍をハッキリさせるための検査なんだって。

正直。放射性元素を体内に入れるのは初めて。検査室にもあの3枚の羽のついたあのマーク。注射器も銀色の容器。静脈から注入。体調に変わりはなし。

20分ほどその部屋で待たされ、検査開始。また筒の中に頭を突っ込み、固定され、周りがぐるぐる回る。もう常に被爆してんだ。でもCT撮るほうがよっぽど被爆するんだって。検査時間は30分。これ以上あの空間にいたら狂うぞ。マジで。

12時昼食。12時40分。すぐさま2回目の検査。30分間の閉所恐怖症。あーやだやだ。

病室に見舞いに来てくれるお客さんと入れ違いになってしまう場合があるという教訓を生かし、今回は念のため書置きして検査に出かけた。遅くとも14時には戻る、と。

結局戻ったのは13時20分頃。そして書置きにヒサが来た形跡が残されていた。やっぱり書き起き正解。誰がいつ来てくれるかわからんもんね。14時過ぎに再び来ます、と。ここから彼の家は徒歩5分だからなぁ。むしろ行きたいくらいだ。

午後の検査から戻ると手術の説明をされた。徐々にリアルになってきた。麻酔科医の先生も来ていろいろ聞かれた。そして説明を受けた。いや、、、正直ちょっと怖くなってきた。が、なるようにしかならないので開き直るしかない。

14時半頃。ヒサは来た。またこれが、仕事とかいろいろマニアックな話にまで及んだ。気が付けば16時半。ヒサはアヤネを迎えに行くために帰っていった。ありがとう。週イチの貴重な休みに会いに来てくれて。

18時。夕食。19時。なんとヒサが再登場。「コレは入院の友だから、はずせない」とわざわざもってきてくれた。ふりかけを。こだわりの「瀬戸風味」らしい。感謝です。20時過ぎ。もうなんだか眠くなってきた。やることないし。てなわけで寝る準備に入ります。

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入院4日目。6時半起き。もう慣れた。午前が長いのに。
7時。朝食。

9時半。おなかがすいたのでサンドイッチを買い食い。10時。ヒマなので洗濯。洗剤がないのに動かしてしまったので急いで買いに行った。あーハンガー欲しい。でもあってもかけるところがないなぁ。 洗濯機の"残り時間"の表示が"残りダウンロード時間"くらいずれる。後ろに大きくずれる。終わったかな~と思って行っても終わっていない。ムカツク。ローカルでの作業のみなのに何で狂うんだろ。注水時間かな、とか考えてみたり。

12時。昼食。

12時半頃。田中さんが来てくれた。13時すぎ頃。フネ登場。と、ともに田中さん帰る。が、フネと病院出口に向かうとまだ田中さんはいた。そして石井さんと尾上さんが来た。そのまま病院ロビーでトーク開始。14時過ぎ頃。ゆかりんも来た。もーね。ありがたいですよ、本当に。特に、尾上さん。遠いのに。マジで多謝です。

15時過ぎくらいに皆さん帰りました。フネはそのまま病室へ。したら、本当に間髪いれずケンタ、ジュンペイ(長)、シュン、フランソワが来た。ラッシュだ。17時くらいまで思い出トーク。馬鹿トーク。昔の話を思い出しながら、なんて歳とったもんだ。

17時前くらい。ふと気付くとはっちょんとくまちゃんがいた。病室に行くと宮山さんもいた。病院ロビーで駄弁っていたために1時間ほど待たせてしまったようだ。申し訳ない。来ていただいたのに。

3人と18時過ぎくらいまでトーク。いや、楽しい。一瞬ノブが来た。大判焼きをくれた。そして帰っていった。ありがとう。

今日の午後はあっという間だった。本当に感謝です。

なまじ、中途半端に元気なのがまた悔しい。現状では引越しもできそうなんだけど、、、。でも腫瘍持ったままはイヤだし。ああ。時期が悪い。

18時半。夕飯。かに玉みたいなの。キンピラゴボウ。ごばん。漬物。

19時ごろ。安西が来てくれた。仕事帰りらしい。小1時間話していたなぁ。北斗の拳のゲームは売れているらしいね。今度吉宗もでるらしい。

たぶん、自分が親しげな人のお見舞いに行く場合、何らかの見舞い品を持っていくだろう。たぶんね。それが、、、いま爆裂しています。お土産だらけ。だから、何ももってこないでとは言いませんが、軽くていいです。もちろん持ってこなくてもOKです。

正直。もらえることはうれしいです。とても。だけど、一番うれしいのは来てくれるということなので。本当に。病人ではありませんので。

だから、ここで何を誰からもらったとは書きません。本当はネタ的に書きたいところなんだけど。

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3時頃目が覚める。体勢を変えることができないのでオケツが疲れる。さすがに3時じゃ早いので無理やり寝る。
6時頃。完全に目が覚める。看護師の人がちょうどきたので傷を見てもらい、歩くことを許された。
まぁ、やや痛いけど。そりゃそうだよな。

しかし、歩き回れる喜び。自分でトイレにいける喜び。だって、病人じゃないもの。病人扱いは屈辱。いや、まじめに闘病してい方には申し訳ないけど、、、ここではオレは病人じゃない。

洗面所で洗髪。歯磨き。シャワーはまだ怖いので濡れタオルで体を拭く。結構すっきり。もうすでに髪の毛うざい。スキンまでのカウントダウンもわずかだが。

7時。朝食。健康になりそう。あまりにも規則正しすぎる。9時。いろいろ参考になることを教えてくれたお向かいのズーキさんが退院。同じ脳腫瘍で、オペ10日目にして退院。腫瘍も陽性だと。よかった。しかし、早い。オレも14日に出る(目標)。絶対出る。退屈で死にそう。

10時。歩けるようになったのをいいことに院外まで歩いてみる。ローソンに行ってみる。よく考えたら現金がなかった。たいした暇つぶしにはならなかった。

12時。昼食。入院3日目にして魚料理は3回食べた。さすがは病院食。小骨の1本すらない。バリバリ食える。あと、コレは納得だったが、ごはんの炊き加減は緩め。梅干にも種はなし。

14時。テレビでサッカー観戦。鹿島vs横浜。その前半途中でイズミちゃん、シゲ、ナルミさん登場。とてもヒマだったので喜んでトーク。お土産も頂きました。ありがとう。

で、3人とともに売店へ。お茶買って、病棟に戻るとセンちゃんがいた。思わず抱擁。アツク抱擁。いろいろお話しましたよ。17時ごろまでいてくれました。みんなありがとう。

一人になった後、ちょっとマジックの練習をしていたら、元ちゃんとミハルちゃんが来た。うわ。練習中のマジックを見られた。ちょっと恥ずかしい。と、間髪いれず、ノブ&アヤネが来た。わー。びっくりだ。ノブは18時過ぎくらい、元ちゃん夫妻は19時ごろまでいれくれましたよ。いろいろトーク。

みんな本当にありがとう。

ノブ家=ヒサ家はこの病室からモロ見えるんだよね。あー地元だ。
19時からレッズ戦を観戦。テレ埼で。あー地元だ。

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入院2日目。6時半起き。
7時半。朝食。9時半。看護師の人から剃刀を渡される。
「見える範囲はすべて」

初めての剃毛。いや、時間かかった挙句、2箇所負けた。痛い。そしてキレイな姿に。
いや、「美しい」と「グロイ」は紙一重だ。多分。

13時からの予定だった血管造影検査は急遽11時からに変更になった。なので10時過ぎ頃から初めての点滴。生理食塩水?電解質?。意外と痛いな。当然、ネタにする気満々だったのでデジカメを持参しています。
看護師の人に撮ってもらう。

11時前。ストレッチャーに横たわり、血管造影室へ。何気に緊張。そして、初めての静脈麻酔。これはすげぇ。あっという間にほわ~んってなる。

先生が「寝ていていいから」というので寝ようとしたけど、大腿部に局所麻酔、動脈に穴を明け始めると、、、そこそこ痛い。鈍痛が続くというか。正直、結構ほわ~んてなっているけど痛くて眠れない。

「あー結構痛いんすねぇ」と言うと
「麻酔、もう1本入れる?」ときたが、寝てしまったらネタに出来ないと思い、、、麻酔を拒否した。

たまに穴を明けた付近をたまにミニハンマーのようでコンコン叩く。それが痛い。
「先生、それカテを送っているんですか?」
「いや、動脈に空気が入らないようにしているんですよ。」
「へぇー。」

モニタには自分の血管内部が映っている。左足首につけた血圧計は一定周期で測っているようだ。
「先生、今カテどこですか?」
「もうね、左頸部の後ろのほう行ったよ。」

これ、カテが通っているのわからない。まぁ、わかっても医療事故なんだろうけど。。。よーく考えると怖い。右大腿部付近の動脈から入ったカテが左首の後ろまで。いや、怖い。

そして造影剤投入と撮影開始。カテ先端から造影剤を注入すると、ほわ~んも一層激しい。これこそ言葉にできない感覚。そして多分、血管沿いに熱い。造影剤が熱い。ある意味クセになりそうでもある感覚。そこで聞いてみた。

「先生、これマニアな人なら好きなヒトいるかもしれませんね?」
「ああ。あのね。必要以上にコレやりたがるヒトいるんだよね、たまに。」

やっぱね。ある意味、ちょっと気持ちいいもの。まぁ、動脈に穴空いた状態ではあるけど。
オレはもういいや。足痛いから。

半分ラリっているので、必要以上に意味のわからないことを聞きまくり。先生の故郷とか年とか。一方的に、オレ的教育論とか語ったりもしていた。モロに覚えているのが恥ずかしい。

で。作業開始から約1時間強くらい。撮影は終了した。だんだん恥ずかしい実感が出てきて「変なこと言ってすいませんでした」と謝りながら血管造影室を後にした。その後、CT撮影をして病室に戻る。このとき12時半くらい。ミエコが来てくれたいたが、もう終わっちゃったよ。で。ここからが地獄。

動脈に穴があいていたばかりなので動かせない。動かしてはいけない。右足の膝を曲げてはいけない。上体を起こしてはいけない。寝返りをうってはいけない。これを4時間。もし出血したら大変なことになるからね、と。

つらい。マジつらい。体内に流し込んだ造影剤を排出するために点滴で生理食塩水?電解質溶液?をバンバン入れられた。そう。そのために小便がしたくなってきた。それも半端なく。まだ13時半くらい。

でも。起きてはいけない。ので。寝てしなくてはいけない。尿カテは激しく拒否したので、尿瓶で放尿。初めての尿瓶放尿。もちろん1人で。きつい。

長年生きた習慣というか。体の防衛反応というか。例えば、もうこの歳でトイレの夢を見て。その夢でいかに放尿したとしても実際には出ていないように、起きていても寝転がった状態では出ない。すごいしたいのに。これマジで。

結局10分以上かけ、腹筋にチカラを入れ、強引に出した。1000ccくらい。さすがに回収にきた看護師さんも「うわっ、でたねぇ」と驚いておられました。しょうがないじゃん。バンバン点滴していたもの。

遅めの昼食、夕食を強引に口に運んでもらい、夕食後にミエコは帰宅。4時間経った後も、まだ安静。 動かしてはいけない。右足の膝を曲げてはいけない。上体を起こしてはいけない。寝返りはカルークならいいよ、ホントに軽くね。って最初とほとんど変わらない。

それでいて、右足首は動かさなければならない。血栓予防のために。

さすがに寝ましたよ。21時くらいに。寝る前にもう一度尿瓶放尿。400cc。

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7時起床。発作さえ起きなければ健常者で健康そのもの。なのできちんと朝食をとり、抗痙攣剤を服用して自らの運転で病院へ。この時、引越し先のほうの病院に行くために2時間の運転。
10時半。入院手続き。

そして入院。

初めての入院。間髪いれず眼科で検査。脳みそ弄くるので後遺症が心配されるが、その術後後遺症のための検査。術後に同じ眼科の検査をする予定。ちなみに眼科なんて初めて。

生まれつき、または後天的にも悪いところだらけだが、眼だけはいい。いまだにいい。今回の検査でも「美しいくらい健康」とお褒めを頂いた。ああ、この自慢の眼が自慢じゃなくなっちゃうのかな。

部屋は6人の相部屋。当然皆さん脳に障害があるわけで。梗塞やら腫瘍やら。お向かいのベッドのズーキさんはオレとほぼ同じ境遇で入院した人だった。この病気のことについてとか検査についてから病院生活まで丁寧に教えてくれた。ヒマだからヒト恋しいみたい。会話好きなのもオレと同じだ。いいオッサンだ。

12時。昼食。午後になり明日の検査の説明。明日の検査のために下の毛を剃ります。テイモウです。発作がなければ健常者なので当然自分でやります。やってくれるといっても拒否するよ。元気だもの。で、このあとミエコとひーちゃんは帰りました。

18時。夕食。消灯は21時。早い。初日だからいまいち寝られず。と思ったら看護師の人が起こしにきた。
「やちさん。息子さんがいらしてますけど。」

あ?何?ヒト間違ってんじゃねぇの、と言ったがやっぱりオレらしい。出てみるとシン君でした。めっちゃ面会時間過ぎてるよ。でもノーチェックで通しちゃう病院も呼びにくる看護師もすげぇな。怒られていたけど。

結局小1時間会話して帰っていきました。面会第1号です。次回は明るい時間帯にお越しください。


(後日追記)

ついに入院生活が始まる。ほぼ、ライフワークのホームページの日記。この更新が止まる。
でも。事前の説明でたぶん後遺症もなく、出てこられるだろうと言われていた。こんな一生の内でもできるもんじゃない。というか、勘弁してください。
ちょっと(いや、説明を受けていない人にとってはかなり、か)大事ではあるけども、病巣が後遺症もなく無事に取れて社会復帰できるなら、、、絶対にネタにしなきゃ。

冗談じゃない。勘弁して欲しい。どうせ万分の1とかで当たるならいい方で当たってくれ。でも、当たっちゃったのだから仕方ない。思いっきり、ネタにするしかないじゃない。体験しちゃうんだから。つらいけど、つらいと思えるのは生きている証拠だ。

そうして、去年の『ぶらり旅2003』の時に書いた日記ノートの続きに今回の入院日記を書き始めた。
、、、とにかくどう転がるにしろ、、、開き直るほかなかった。その時は。

diary

出社してきた。報告と今後を話す。
会社。やっぱり好きだなぁ。なんだろう、居心地がいいというか。朝、机の上がやけににぎやかになっていたのを見てちょっとほっとしたというか。あぁ帰ってきたんだぁ、みたいな。ま、本当はこれから出かけるんだけど。。。

ビシっと治してきますのでそしたらまたバリっと働きます。

昼には帰宅。部屋の片付け。引越し準備。というか、もう今日限りでこの家には戻らない。。。そう考えるとなんかちょっぴり切ないような気がするのでした。つーかモノ多すぎ。6年で増えたなぁ。

引越しについて。昔のなじみの旧ボーイスカウトの良き先輩、同輩、後輩達の好意に甘えさせていただくこととなりました。もちろん、この家の唯一の男子である私めは引越しに絡みません。絡めません。だってオペだもの。

これには非常に感謝です。本当にありがたいです。ひーちゃん、指揮よろしく。

夜。フネと電話。フネにも引越しの際にスパ君を出してもらいます。ありがとう。で。そのフネからエッヂカードを借りることに。いや、病室で使えんのか??と言う話はそのときにしよう。そうしよう。すると、日記の更新もできるんだよね。本来なら退院までもうされないはず。したいなぁ。もうライフワークだし。

では、入院生活に入ります。

面会は
 平日  12:00~20:00
 土日祝  8:00~20:00

だそうです。ええ、フリですよ。皆さんの出席簿作って待ってますよ~。