diary

退院。するつもりではいたが、許可をするのは先生。「したい」といくら思っていたって俺の独断で退院は当然できるわけがない。
朝イチで「卒業試験」と銘を打たれた最後の血液検査があった。最後(にしてもらいたい)の採血。もう何回刺されたことか。この血液検査で問題がなければ退院だと言われていた。あとはいつ退院できるのかということ。今日?明日?

朝食後。気になって仕方がないので看護師に聞いてみたけど、いつ出られるかは先生に聞いてみないと分からないみたいなので聞いてもらえるようお願いした。

いてもたってもいられないのでいつでも帰れるように帰り支度。結構重い。いや、かなり重い。寒いとイヤだから、と持ってきたタオルケットを入れてきた袋を取り出し、そっちにもいれる。パンパン。ギリギリ。重い。来たときの2倍以上の重さ。これは、皆さんの想いの重さです。

今日に限って同じ部屋から2人も退院者が出た。2人とも朝イチで。そのために10時くらいから掃除のオバちゃんが騒がしく出入りをしている。狭い6人部屋。仕切りのカーテンを閉めているから、日常の会話などはほとんどない。もちろん、退院するときも一言もなにもない。だから、最初の頃に出会ったお向かいのベッドのズーキさんは人懐っこいおっさんだったなぁ、とちょっと思い出した。

あれから結構経ったんだなぁ。

なんだかんだで、あれからもう3週間も経ってしまった。

11時くらい。脳外科の部長の先生が来た。血液の検査も問題ないようで「出る?今日帰る?」と言うので、即「はい、帰ります」

最後の病院食。ちょっとね。若干ね。なんとなく、寂しい気もした。いや、変な感覚なんだけど。二度と来たくない場所なんだけど。慣れって怖いね。

結構、いろいろなところで「お世話になりました」って耳にするけど、、、ここで俺が発言した「お世話になりました」はまじめに心がこもっているぞ。本当に。

最後に、看護室の前でちょっと話をして。ちょっと名残惜しかったね。外来のときにでも顔出そうかな。

主治医のニーム先生。ハーシ先生。部長のカーダ先生。看護師のシマッチ、タケッチ、アカッチ、ハシッチ、イワッチ、サトッチ。掃除のおばちゃん。お世話になりました。


(後日追記)
そして、でっかいバック2を抱えて脳神経外科病棟を後にしました。会計窓口では当然、入院費・手術費の支払いなんてできるわけできず、5000円と一筆のみ払って病院を後にしました。

そのとき、家族は船橋で手続をしていて、大宮に向かっていたんだけど、、、とにかく俺は病院を出たかった。待ってりゃいいのに。でも。いたくなかったのよ、病院に。で、結局、大宮駅に行ったものの荷物が重くて、、、何年かぶりの大宮駅も散策できず、、、結局迎えを待っていたと言う結末。

これで入院日記はおしまい。

【おまけ】
入院中訪問者:延べ75人
筋肉注射:3本
採血:いっぱい
点滴の針:いっぱい
座薬:6回