diary

たまにだけど、頭痛がくる。朝食後、その頭痛が来た。もううざいので、さっさと鎮痛剤をもらった。かなりのヘタレ、だ。傷が痛いんだけど、ズキズキ痛いのではなくて内側からレッキングクルーのマリオみたいのがコンコンコンコン叩いてくれている感じ。非常に不快で、寝ているときにくると眠れなくなる。そうそう、風邪引いたときの頭痛に似ている、けど熱はない感じ。バファリン系の痛みだと表現されたが、よく分からない。
これ、一度切られた神経がくっつくときに起きる影響だそうで。「イタタタタ」ってのじゃないんだよ、ムカつくんだよ。「これがなければねー」って看護師のたぶん、師長さんにぼやいたら「頭開けてまだ1週間なんですからー」ってかわされた。

と、結構いろいろ小うるさいことが言えるほど元気になってきて、そろそろ会社に行きたくなってきた。というか、入院前の想定では退院は明後日だ。そろそろお会計の人が退院の手続きをしに来てもいい頃じゃないかと思ってもこないんだよなぁ。

夕方、ミエコとひーちゃんが来て、先生の話を聞きに。術後の経過は非常に良好。しかも、腫瘍は良性。傷も順調にふさがっており、本日より条件付きでシャワーOK・シャンプー可。3日以来の風呂。発熱しまくって発汗しまくったから気持ち悪いったらありゃしねぇっての。で、条件とは爪を立てて洗わない事ないこと。無理だよ、、、大体、、、水につけること自体、、、、怖いのに。。。

と。風呂に入ろうとしたらヤスダが来てくれた。遠目にいる俺に気づかない。それは奴の目が悪いのに加えて俺の頭髪が無いから。とりあえず、個室シャワーの予約時間ははずせないので、ベッドで待っていてもらうことに。ミエコとひーちゃんがいたけど。

久しぶりのシャワーは気持ちよかった。が、頭を洗うことは怖かった。頭を水につけるのは怖かった。だから、切っていない左側の方からオソルオソル徐々に攻めていく。側頭部。頭頂部。ヨードチンキの混じった茶色い水が流れてきた。

凍みはしない。痛くもない。なんか怖いだけ。とりあえず、軽く擦ってみる。よし。とりあえず、終了。ほとんど水に浸しただけ。でも、気持ちさっぱり。ヨードチンキは落ちた。フケはあまり落ちていない。

部屋に帰り、ヤスダと談笑。仕事の話しもする。家族以外でこの生々しい傷を一番最初に見たのはヤスダが一号だ。おめでとう。ヤスダ。でもグロイのはキライみたいね。せっかくなのに凝視はしなかった。

夜。夕飯後。ヒサが来た。昨日もって来てくれたウドンの丼の回収に来た。ごちそうさまでした。


【傷跡】
brain003抜糸したのは11日で、傷が30cmもあると知ったのはその11日。だけど、バンソウコが取れて自分の目で見ることができたのはこの日。でも傷の場所が場所だけに鏡は合わせないと見ることができない。手鏡なんか持っていないし。
そこで、看護室に行って借りようとした。が、ないらしい。えーあるだろ。うー。見たい。どんなにがんばっても、後頭部は見ることができない。そこで、デジカメで自分撮りを試みた。かなり何度も。その瞬間。カーテンを開けられて非常に恥ずかしい思いをした。

もちろん、撮ってもらった。

diary

熱はいい感じ。もう夜中の発熱はない。ただ、夜中に突然、頭痛により起こされる。熱はなさげ。結構うざい頭痛で小1時間くらい戦ってみたけど勝てず、鎮痛剤をもらう。情けなや。
傷自体の痛みはあるけど、それは仕方ない。大体、まだパックリいってから1週間しかたってないんだから。で。その"まだ"1週間しかたっていないんだけど、本日は抜糸。糸が取れます。

午前中。10時ごろ。お呼びがかかる。処置室にて主治医の先生じゃなかったけど、最初の話だとこっちの先生が主治医になりそうな展開だった。たぶん、そんな感じだった。今となれば、どちらの先生でも十分に信頼できると思うな。

で。おもむろに傷口に張られたバンソウコを剥がす。消毒。ヨードチンキを塗りだくる。もう表皮の痛みは全くない。

生まれてこの方健康優良児だった俺。抜糸も初めて。ぱちッ。ぱちッ。っとはさみが入る。で、ピンセットみたいなのでククっと軽く引っ張る。痛みはほとんどない。ただ、皮膚の薄いコメカミ近辺は多少痛かったけど。

さて。

手術が終わってから今まで2回ほど傷口の消毒をしてもらった。消毒の際には当然、傷口を触られる。その触られた感覚から大体15cm程度頭を開いたのかなと思っていた。

開頭時に具体的に何センチ頭を切るのかは聞いていなかった。いや、、、今よく考えると、、、おかしいな、それも。頭内部の腫瘍の大きさや、成長具合。さらに、脳の血管の配置に関しては事細かに説明を受けたけど。

頭をどう開くかは聞いていなかったぞ。

いや違うな。

頭をのどこをどれくらいの長さに渡って切るのかを聞いていなかった。

でも、これはそのときには大したことではなくて。もう一刻も早く異物を取ってもらいたかった。そして、手術が終わった後も、消毒されているときも「切られた傷はこんなもんかなー」程度の感覚で、具体的にどれくらい切られたのか興味が薄かった。具合が悪くなっちゃったし、腫瘍が良性か悪性かとかいう問題もあったし。

術後、お見舞いに来てくれた人には傷の程度についてこんな情報を伝えました。もちろん、自分のイメージのみで。独断で。右手で人差し指と親指でアルファベットの「C」を作って(大体長さ15cmのシーの形)、「こんなかんじ」だと。消毒で触られたイメージだとこんな感じだったんだって。

そして。

ぱちっ。ぱちっ。ぱちっ。ことのほか長い。ここは脳外科。他の患者の傷を見ていても分かるけど、大体1cmで1針くらい。15は越えたよ。そこで聞いてみた。

「先生、これ何cmくらいで何針なんですか?」
「えーとね、直線にしたら30cmくらいで縫ったのは30針くらい。」

イメージより倍でした。

まー、散々前述したけどねぇ。今聞くことじゃないけどねぇ。何cm切ったとか、何針縫ったとか。今聞くことではなかったかも。しかし、30cmか。でかいな。バンソウコ張られたので今日の目視確認はオアズケ。

夕方、ひーちゃんが来た。ヒサも来た。またもやうどんを持ってきてくれた。今度は卵とじだ。しかし、今日はとくに食欲なし。約束はしていなかったけどおそらく持ってくるだろうと予想していたので、帰ろうとするひーちゃんを引き止めておいたのです。だって、残したくないんだもの。一口いただきました。ごちそうさまです。

19時過ぎくらいにシンが来てくれた。あーだ、こーだ、ちょっと、いろいろ話をして帰っていった。

diary

人間の体ってすげえなぁ。抗生剤を変えて薬を飲まなくなったら発熱しなくなった。あっさりと。
もうここには書かなくなっているけど、毎日朝夕の2回、点滴。針を刺す。普通のように針を刺す。慣れたかぁないけどね。慣れてきてしまったのもいやだなぁ。イヤなのは、異物(針)が血管の中にしばらくの間いるってことだな。だから点滴が終了したらすぐに取ってもらうように呼ぶ。即、呼ぶ。異物感は痛みより耐え難い。

本日は朝から血液検査。静脈にぶすっ。で。採血。採血が終わったら、そのまま今度は針を抜かないで点滴。まさに逆流だね。これで空気が入ったら医療ミスなんだよなぁ、と正直何度か考えましたけど。そのあたりはプロですからねぇ。それこそこれだけデカイ病院で1日に何回ものその作業をしているものか。でも慢心は怖いけど。

熱はそれなりにひいてはきたものの、食欲はイマイチ戻らない。もちろん、発熱時よりはなんとか入るようにはなってきたけど。でもなんだか、食べ物をイメージするとオエッってなるような感じな食欲のなさ。まるでツワリだ、との意見もありましたが。なんだか本当に喉を通らない。とくに米。なぜか通らない。オエってなっちゃうだよなぁ。

午後になって若干具合が悪くなり気味になったので寝ていたらムラセアユコが来てくれていたみたい。運良く起きたらまた会えたからよかった。看護師の人に若干冷やかされ。うれしはずかし。

夕方。そこにヒサがうどんを持ってきてくれた。食え、と。食欲がないことを心配してくれて。ちょっと時間はかかったけど、普通の病院食よりは断然に食べやすかった。当然、病院の夕飯は全残し。うどん食べなくてもたぶんそんなに食えなかった。

夕飯後。ぼーっとしているところに先輩と聡が来てくれました。普通に会うだけでも数年ぶりなのに、再開が病院とは。先輩は引越しの際に非常にお世話になりました。もちろん、引越しの時には俺は寝ていたけどね。涙。

diary

やっぱり夜中にアレを投下。6発目。
で。結構な時間、熱が引かないので抗生剤を変更することになり、経過を見ることになった。

夕方。ヒサが来た。そしてタモンが来た。なんとまぁ3年ぶりに会ったっていうのに、まさか病院とは。でもみんなそうだけど、本気で心配してくれたみたいで。冗談でもネタでもなく、ココまで涙を流すとは正直言って思ってもいなかった。

そうこうしているうちにミエコとひーちゃんが来た。が、すぐ帰った。タモンと面会時間いっぱいまで話をした。本当に久しぶりだった。

個人差もありはするけど、術後3日くらいまでががキツイってきいていたのに、、、もう5日キツイままだよ。先生によるとこれは感染症対策のための抗生剤、あるいは抗痙攣剤の副作用的なものらしい。冒頭でも述べたけど、そのために今日から抗生剤を違うものに変更。抗痙攣剤の服用を一時的にヤメ。という措置が今日からとられることになった。

まぁ。なすがままというか。

正直。好きな人はいないと思うが病院は大嫌いだ。だから多少体調が悪くなたって極力行くことはしない。さらに薬も大嫌いだ。だから多少体調が悪くなったって極力飲むことはなしない。でも、実際問題。本当に限界近くまで体調悪くなったら病院行くし、薬も飲むけどね。病院に対していいイメージがないのは何でだろうなぁ。その根本はなんなんだろう。

でも。いくら病院が嫌いだとかいたって結局のところ頼らざるを得ない。信頼せざるを得ない。まして今回なんかはさほど小さなことではないと思われる。

イメージ先行のケースはよくあるもので、8月に桃狩りに行ったときに初めて桃をおいしいと思った。それまであまり桃をロクに食べもせずイメージだけでキライだと思っていた。それとはまた違うけど、実際に病院に入って。医療の現場の中のイメージではなくてその実際を見た。そりゃ、病院だけにそれをみて"キライ"が"スキ"にはなることは残念ながらならないけど。あーでも、こーなんだなぁと。

diary

なんかゼンゼン熱が引かない。ゼンゼン頭が痛い。そして例によって眠れない。すでに常習的になってきた真夜中の座薬投下。5発目。今回のは結構引かない熱野郎に対して挑戦的な大型爆弾。もちろん、効果は覿面だが、、、投下時に、、、反動がね。痛いんだよ。
夜中にでかい爆弾を投下したおかげで今日の昼間は昨日までとは比べてまだ楽だ。

なのでそのスキに溜まりまくっている洗濯物と、ウィダーインとカロリーメイトの買出しを敢行。熱は座薬で抑えても、食欲が全くない。水は飲めるから、流動食で強引に入れるしかない。だから、ウィダーイン。なんとかたんぱく質を摂取しようと努める。何度もいうけど、栄養点滴は絶対にイヤだ。

薬で抑えてはいるけど、内部的な熱からくる倦怠感・気だるさ。そのせいでおかげで日中も寝てしまう。もちろん、傷は痛い。薬が切れると38℃台の熱。物心がついてから、38℃台の熱を出したことはあるけど、これほどまでに長い時間はさすがにない。熱の出し慣れなんてしていないもんだから、キツイ。

夕方。ヒサが来てくれた。病院に家が近いとはいえ、これほど頻繁に来てくれると悪い気もするけど好意だからそういうことは言わない。この夫婦は決して2人揃って訪れることはない(アヤネがいるからね)が、来たときには必ずこの言葉を残して帰っていく。

「洗濯物ある?あればもって帰ってやるよ。」

いいから。自分でやっているから。もちろん、その気持ちには感謝しきり。

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熱が引かない。頭が痛い。眠れない。またしても夜中の座薬投下。3発目。経験的に座薬は投下してから大体10時間くらいで切れる。
その10時間後の昼前。ぴったり、予想通りに発熱。そして昼間ッから座薬投下。4発目。もちろん、ごはんは全く食べることができない。グッタリ。と。そのときにクマ・ハチの2人がきた。「あーごめん。1時間くらい時間つぶしていてくれる?」と言ったっきり、再びグッタリ。

一時的に熱が冷め、目が覚めたのは約2時間後だった。本当に申し訳ない。置き手紙が残っていました。

と。置き手紙をモタイさんが来てくれた。間髪いれず、フネ、ヒグチが来た。さらにはノブが来て。最後にはしばちゃんとムラヤスが来てくれた。皆さん、本当に感謝です。

ホント、タイミングが悪いというかちょうど発熱しているときに来てもらったクマハチには申し訳ない日でした。

また、実は昨日、今日とウチの引越しの日。そんな重要な日に、一家に唯一の男子が病院で寝ている。引越しには地元のボーイ時代の先輩・同輩・後輩が助けに来てくれた。さらにミエコ関連の友人とヨシハルも手伝ってくれた。しかも2日間も。これには言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

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昨日の夕飯後から徐々に上がってきた体温が夜中にピークを迎えた。傷の痛み。傷とは違う内側からの頭痛。眠れない。38.6℃。
あまりにもつらいのでナースステーションまで氷枕をもらいにいった。まぁ、冷たさで誤魔化せばなんとかねむれるのではないかなぁ、という考えで。

「すいません。氷枕ください。」
「熱でたか。測った?」
「38.6℃でした。」
「えーとね。そういう時はナースコールのボタンを押して呼んでね。」

なんかナースコールは押したくない意識が強かった。極力。自分で動けるときはなるだけ動く。なんか病人みたいじゃない。まぁ、病人といえば病人だけど、オレの認識では今はけが人。

で、結局。明け方。3時くらい。あまりにつらくて、、、ナースコール。今回2発目の座薬投下。いや、座薬。あまりキレイではない話、オレは肛門が非常にナーバスな状態に常にある。なので投下は結構痛い。

だけど、投下後。約30分ほどガマンすると、恐ろしいくらいの汗が出てくる。解熱に伴う発汗。気が付けば6時。大量の汗とともに熱は引いていた。かなりラクになった。だが、食欲はまったくなくなった。

午前中。下着のストックが後1着になっていることに気付いた。またいつ熱が出てくるかわからない。ある程度引いているうちに洗濯しないと。ということで洗濯した。

昼過ぎ。本日はレッズ戦がある。NHKで放送される。観なきゃ。試合開始は14時半。テレビをつける。が、発熱。眼球を動かすと気持ち悪い。仕方なく、、、前半10分で断念。寝ました。

夕方。若干ラクになった。ちょうど目を覚ましたくらいにシゲといずみちゃんが来てくれた。と思ったら続けざまに元ちゃんも来てくれた。家族以外にボーズ初お目見え。さらに続けざまにカナ&モーリー夫妻が来てくれた。本当に励まされます。

夕飯もあまり食べることはできなかったが、栄養点滴は絶対にイヤなので無理やり入れる。薬が切れていたようで、若干熱っぽくなる。なるだけ体力を温存すべく横になる。アイスノンを乗っけて。と、なんとホンダさんが来てくれた。感謝です。

大体、キツイのは術後2~3日。そう聞いていた。今日で術後2日目。明日になればラクになるだろう。

術後、しばらくの間、感染症防止のために抗生剤の点滴を朝夕の2回投与される。手術前に刺した点滴の針はまだ刺しっぱなしで残っている。そこから毎回管をつなげば、わざわざ毎回抜き差しせずに点滴ができる。衛生上の都合で4日以上は刺しっぱなしにはできないそうだが。

だけど、オレは毎回抜き差しすることを強く望んでとってもらった。まー確かにチクチク多少は痛いのだけど。4日間も自分の体の血管の中に針が刺さっている状態なんて冗談じゃない。針が刺さっているのは点滴されているそのときだけで十分だ、ということで。

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寝たような眠れないような、そんな夜がようやく明けた。何度時計を見たことか。術後間もないこともあり、夜も1時間おきくらいに検温と血圧測定で起こされる。いや、起こされるようなすでに起きていたような。
7時ごろ。血を抜かれる。あまり考えなかったけど、今回のこの事態発覚から何回体に針を刺されたことか。

8時ごろ。眠れないしヒマなので、差し入れの本を持ってきてもらった。今までにそんな人はいなかったようで笑われたけど。でもこれは強がりなどではなく、、、本当にヒマだったの。痛くて眠れないし。首痛いし。

10時。CTを撮りに移動。まだ、頭から管が出ている。自力で起き上がることはまだ許されない。ストレッチャーで移動。撮影。で、また回復室へ。

11時。先のCT写真を見た先生がやってきた。とくに問題はなさそうとのことで、頭の管を抜いた。傷から頭の内部に入った管。血がたまらないように入っていた管。それがようやく取れます。当然のように麻酔なしで。

「はいちょっとしみるよー」と消毒。その後、キュキュッと管が抜けていく感触。痛かったけど、尿カテより100倍以上痛くない。ゼンゼン楽。そしてそのまま1針縫う。すごい手際でかなりあっという間だった。まーそりゃ慣れているんだろうけどさ。

聞くところによれば年間に300件くらいの脳外科手術をするらしい。にわかには信じ難いが、そうらしい。そうすると慣れるってのもうなずける。若干ね。しかし、300件て。一年のうち6分の5の時間も脳ミソ開いているのか。それはそれでイヤな職業だな。でも、おかげで助かりました。

まーこれで点滴以外の管が抜けた。起き上がることを許される。そして、術後まだ24時間も経っていないのに食事を許される。

まず起き上がり、自分の足で自分の一般病室のベッドに帰る。ややふらついたけど、それはずっと寝ていたから。たぶん。そして昼食。正直、やっぱり傷が痛いのであまり食べることができなかった。でも栄養点滴は絶対にイヤなので頑張って口から栄養を摂取しようと努めた。

午後はミエコとひーちゃんが来てくれた。痛かったけど、それなりに会話ができたのは薬が効いていたからなのね。夕方に帰っていった。

そして術後1日目の夜を迎える。予想通り発熱した。

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オペ日。6時起き。

7時半にオペ着に着替える。そして頭を剃りに行く。と、ツルツルになってベッドに戻ると、シゲがいた。当日まできてくれたのね。さんきゅう。8時。点滴開始。8時半。筋肉注射。9時前。ストレッチャー到着。たぶん9時すぎ。オペ室へ到着。

到着後。助手の人が「よろしくおねがいしまーす」。心電図、血圧計などを装着。酸素吸入開始。麻酔科医の先生から「今酸素。ゆっくり深呼吸して」。その1分後くらいに「今から薬行くからね」の後、記憶なし。

あっという間に起こされる(時間の経過を感じない)。経過時間は予定通りの3時間半(その場で聞いた)。オペ室。頭がガンガン痛い。吐き気もする。かなり意識朦朧としながらもいきなりピースサイン。あほか。というか。もう、精一杯の強がり。『えーかっこしー』ではないけど、ただでさえ情けない姿に弱気な発言やらしてもどうかなぁと思っていたので。

それと。やっぱり脳みそを開いたわけで「もしかしたら左側に痺れが出るかもしれない」とも言われていたから、まず動かした。それがピース。次に言葉。「言語には問題ないだから」とは言われていたけど、不安は不安。なのでいろいろ喋った。

そして先生。「予定通り終わったからね。腫瘍もとれたから」とビンに入った液体づけのオレが10年間共にした腫瘍を見せてくれた。その場で写真を撮らせてくださいとお願いし、笑われながら承諾された。

その後CT室に移動。輪切り撮影。そして今までいた病棟の、回復室というところに戻る。そこには家族とシゲがいた。まず、そこに運ばれてきてのひとこと目が「シゲ。。」だった。家族ショック。いや、これはシゲに託していたデジカメで今のオレの情けない姿と摘出した腫瘍を写真に収めてくれという意味だったのよ。うん。そしてしっかり収めてくれた。

グロい。直径3センチのピンポン球くらいの大きさだった。でかい。ありえないほどでかい。これが、オレの頭の中に10年以上もいたのか(先生談)。こええ。

徐々に意識がしっかりしてくると、体から何本か管が出ていることに気付く。気道と食堂にそれぞれ管。頭の傷から血を抜くための管。尿道から管。まず気道・食堂の管を抜かれる。若干苦しい。オエッって感じ。点滴の管。痛み止めの座薬と、吐き気止めの点滴開始。

頭はでかい傷があってそこから管も出ている。動かすと痛いし。なのであまり姿勢を変えないようにして寝ている。傷は右後頭部。だから左側を向いて寝ている。傷をケアするように首に力を入れているから、とにかく疲れる。

そして尿道カテーテル。これはいやだなぁ。。ものすごい違和感。自分の意志とは関係なく抜かれる尿。なので、術後まだ2時間しか経過していないにもかかわらず、撤去を要請。「自分でできるから」と。意外と意識もしっかりしているということで抜いてもらったが、これが痛い。たぶん、人生痛さランキングでもかなりの上位。ホントに痛かった。

まだ麻酔が抜けきれていないのでたまに落ちる。が、1時間くらいで起きる。痛くて。首が疲れて。そこから痛いのと戦いながら時間の経過をただひたすら待つ。これがつらい。ここから長かった。オペが終わり、回復室に戻ったのが13時くらいだから、そこから翌朝の7時くらいまでまず最初の地獄。痛いのとヒマなのとで。


<<後日追記>>
【剃毛(上)】
剃りたて。現時点でオペ1時間チョイ前。かなり緊張気味。そして、このあと、消毒をしました。エタノールをベタベタ塗りだくられました。剃刀負けがものすごく(多少血も滲んでいます)痛かった。
この時点で身内は誰も病院に到着しておらず、看護師さんに撮影をお願いしたところ笑われました。まぁ、笑うなよ。

【10年】
前日の説明ではどんな感じの手術になるかなどの説明を一通り受けた。最後になにか質問はないかと聞かれたのでこれほどの腫瘍がどれほどの年月をかけて大きくなったのかを訊ねてみた。

「んー10年。少なくとも10年、、以上。」
一族、絶句。あ、そんなに飼っていたんだ。

人生をやり直せるとしたら、少なくとも10年以上さかのぼらなきゃダメだな。絶対に。とか考えてみたり。
でも10年て、、、長いね。

【摘出した脳腫瘍(10年モノ)】
腫瘍の写真は本文にあるように親友であるシゲが撮影してくれました。写真を撮らせてくれというお願いを先生は本当に聞いていてくれて、シゲに撮らせてくれた、ということです。
で、シゲは脳神経外科のナースステーションに行って、周りの看護師たちの「なんだコイツ?」という目を気にしながら、3枚も撮影してくれました。3枚も。当然、俺はそのときには下の写真のようにグッタリしていたわけです。

そして術後、家族が主治医に呼ばれ、結果が報告されました。その場にシゲはいました。ええ、いたそうです。もう、家族ですね、こいつぁ。だから、ここの掲示板にハッキリ「手術は成功」って書いてくれたんですね。

手術直後の主治医の結果報告。
結構な手術で、普通は家族しか聞かないだろうし、家族だって「ちょっと外で待っていてね」とか言うんじゃないんですか?いいえ。ウチの母は、シゲに対しこう言い放ったそうです。

「あんたには聞く権利があるから入りなさい」

【手術直後】

痛々しい。
頭から管が出ています。いたそう。これ、邪魔だった。後は心電図の吸盤とか。手前のピンク色のトレイは緊急嘔吐用。出なかったけど。
 
 
 
 
 
 
【もうひとつの傷跡】
メインの傷跡の他に右コメカミに1針分の穴と左耳の上あたりにこれまた1針分くらいの傷がある。また、管が出ていた場所とは別で。
手術台で全身麻酔がかかった後、頭を開く。骨を開く。そのためにしっかり頭を固定する。固定する。万力みたいな装置で、頭をはさむ。それが、右のコメカミ、左の耳の上あたりに刺さる。しっかり固定するから、穴があく。そういうことらしい。

手術後、上写真のような格好でしばらく寝ることになった。
右写真は数日経過した後の写真(3~4日)。

だが、なぜか左側も痛い。その理由が、、、マンリキ(のようなもの)による頭の固定らしい、と。
センダ氏だなんてカタイ言い方はしないで、センちゃんですな。

【輸血】
輸血はしなかった。そのための血管造影検査。
前日の説明でも、それ以前の説明からも「もちろん準備はするけど、入れる予定はないからね」と先生は仰っていた。だが、「多少、出血してもいけると思ったら入れないからね、その場合結構つらいかもしれないけど、長い目で見たら多分、いいと思うから」とも仰っていた。

もちろん、「入れない方向」で同意。イヤだもんよ。最終手段でお願いします、と。

【尿道カテーテル】
全身麻酔、あるいは下半身麻酔など、要は垂れ流し状態になる場合に尿道に”管”を挿入する。
まぁ、噂には聞いていたけど、これを抜くのがホント今回、すべての出来事を通して何よりも一番痛かった。まぁ、ある意味、物理的にも精神的にも。これはもう一生イヤだ。足は絶対に怪我しちゃいけない。

でも、どっちかと言うと、触られたとか見られたとか言うのはどうでもよくて(減るもんじゃないし)、とにかく物理的に痛かった。

diary

やっぱり6時に目が覚める。というか、何時間かおきに目が覚める。
明日か。徐々に、なんとなく落ち着かなくなる。早起きなものだから、午前が長い。そんな滅入り気味な10時半ごろ。ヒグチが来てくれた。早い。朝イチだ。うれしいねぇ。だらっと会話を開始したらすぐに大脇さんが来てくれた。超感謝。

大学の同輩・ヒグチ。会社の上司・大脇さん。三角で会話。しかし、そこはヒグチと大脇さん。あわせてくれました。わざわざきてくれたのに気を遣わせてしまって。二人とも12時ごろに帰りました。

13時半。ムラヤスとえんちゃんが来てくれた。少し話すが、14時。Jリーグカップ(ナ杯)。食堂のテレビで観戦。延長・PKまでやって負け。悔しすぎ。マジ悔しすぎ。17時まで2人はいれくれた。

17時半頃。シゲとえっちゃんが来てくれた。これほどたくさんの励ましの来訪。本当にうれしい。メシの時間と重なってしまったので悪いと思いつつ、、、食う。と、シンが来てくれてすぐ帰っていった。明日がオペだからと来てくれた。感謝。オレのベッドスペースでシゲ・えっちゃんと話をしていると、、、なんと前澤さんと志賀が来てくれた。突発的に。これにはやや驚いたけど、うれしい。

微妙な組み合わせのまま面会時間いっぱいの20時まで4人ともいてくれた。もうその頃になると、オレは落ち着かなくて仕方ない。もちろん、明日の手術のことでお腹いっぱい。

今日は午前中から会いに来てくれた人がいたのであっという間の1日でした。

diary

入院6日目。結構いろいろ慣れてきた。慣れたくはないけど。
7時。朝食。朝食後。ヒマなのでマガジンを買いに売店へ向かう。明日は祝日なので。病院の売店は本館の地下1階にある。いま、オレがいる2病棟4階からは1階までしか降りることができない。そこから本館に移動し、本館の階段で地下に潜る。

決して看護師の人は教えてくれないけど、もう1本のルートがある。今いる2病棟4階から階を移動せずに3病棟に移動し、そこからエレベーターに乗る。するとそこからは地下1階に行くことができる。そこからは1本道で売店にたどり着く。こちらのルートのほうが乗り継ぎが少なくて1本道で若干のお得感がある。でも。教えてくれない。これは退院しちゃったズーキさんが教えてくれた道。

それはそのエレベーターの1階は無菌状態の手術室のフロアでも降りることができてしまうから。まぁ、エレベーターで先生に会っても何も言われはしないけど。で。そのエレベーターから降りた後の売店までの道のりに霊安室がございます。非常に気味が悪いんですが。でも近い(気がするので)、毎日のように通っています。

ハッキリ言ってこの道、看護師か先生、もしくは一部の入院患者しか通らないと思われるんですよ。一般外来の患者はもちろんのこと面会人だって絶対通らない、と思うんですよ。あの通路は。

ところが。昨日、通ったときに不思議なものを発見しました。なぜか。なぜか。野菜を売っている親父がいるんですよ。ネギとかキャベツとか。あ、シイタケもあった。とにかく、結構な量を通路のちょっと広がっている部分に広げて商売らしきしているんですよ。

そして。買っているおばちゃんがいるんですよ。何を見ているんだろう、オレ。口コミで密かに安く買える八百屋なのか?ここは。でもね。霊安室のモロ隣で野菜並べているんですよね。
そんな風景を今日も見ました。今日は買っているヒトいなかったけど。商売になるのか。いや、見えちゃいけないものなのか。謎は深まる。明日いたら聞いてみよう。

9時。風呂に入る。9時半時。洗濯開始。パジャーマとパンーツ。10時20分。乾燥機開始。前回、あまり乾きがよくなかった方の乾燥機は避ける。かつ、途中で開けると冷めてしまい、効率が悪そうなのであらかじめ90分にセットして放置。開けない。

11時45分。昼食。おでん。漬物。ごはん。

12時。乾燥機に行く。また、表示がバグっている。90分にセットしたが、まだ86分だ。あれ?これカウントダウンじゃなくてアップだったか。と思っていたら85分になった。うん?

よし。洗濯もう1周いけて、乾燥機代を浮かせられる。ということでジャージとフリースも洗濯開始。

12時50分。洗濯終了することなので見に行く。あれ?乾燥機の残り時間表示が53分になっている。なんとなく、そんな気がしたのだが、、、1回開けたときから正常にカウントダウンしだしたな。しかし、これは今後のためになった。1度も開けなければ90分でも4分しかカウントが進まないこと。乾きにくいものも時間差でお安く乾燥機を使える。、、、いいのか、オレ。いや、いいんだ。お金は大事だ。

14時ごろ。イズミちゃんがまた来てくれた。仕事の合間だそうで。公的な医療費についていろいろ調べてくれたようで、丁寧に教えてくれた。さんきゅう。15時に再び仕事だと帰っていった。

16時。シゲとコバが来てくれた。結婚式以来だ。17時ごろ。家族が来た。先生にこれまでの検査結果を聞きに行く。ちょっと怖い。まぁ、現時点では陽性の確率がかなり高い、と。

後は、術後のこととか。後遺症とか。結構現実味を帯びてきて怖くなってきた。けど。手術自体は全身麻酔なんだよね。なんだろな、このビミョーな心理状態は。

家族もシゲ・コバも18時20分くらいまでいてくれた。同時に帰っていった。我が家の引越しは6日に行われるけど、なにもできない俺。チカラ仕事もそうだけど、引越しに関するいろいろな手続き。それに絡めない俺。もどかしい。そして家族をはじめ、いろいろな人に支えられているのだなぁ、と改めて認識。もう。感謝してもしきれないくらい。

で。ジャージをずーと乾燥機に入れたままでした。

そういや、朝からの微熱が下がらない。37.4℃。薬を飲まされる。

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やっぱり6時半起き。
7時朝食。8時半。検査のお呼ばれ。今日の検査は「タリウムシンチ」。RI検査っていうんだって。要は放射性同位体(RI=ラジオアイソトープ)を体内に入れ、γ線を照射してその内部構造を知ろうというもの。腫瘍をハッキリさせるための検査なんだって。

正直。放射性元素を体内に入れるのは初めて。検査室にもあの3枚の羽のついたあのマーク。注射器も銀色の容器。静脈から注入。体調に変わりはなし。

20分ほどその部屋で待たされ、検査開始。また筒の中に頭を突っ込み、固定され、周りがぐるぐる回る。もう常に被爆してんだ。でもCT撮るほうがよっぽど被爆するんだって。検査時間は30分。これ以上あの空間にいたら狂うぞ。マジで。

12時昼食。12時40分。すぐさま2回目の検査。30分間の閉所恐怖症。あーやだやだ。

病室に見舞いに来てくれるお客さんと入れ違いになってしまう場合があるという教訓を生かし、今回は念のため書置きして検査に出かけた。遅くとも14時には戻る、と。

結局戻ったのは13時20分頃。そして書置きにヒサが来た形跡が残されていた。やっぱり書き起き正解。誰がいつ来てくれるかわからんもんね。14時過ぎに再び来ます、と。ここから彼の家は徒歩5分だからなぁ。むしろ行きたいくらいだ。

午後の検査から戻ると手術の説明をされた。徐々にリアルになってきた。麻酔科医の先生も来ていろいろ聞かれた。そして説明を受けた。いや、、、正直ちょっと怖くなってきた。が、なるようにしかならないので開き直るしかない。

14時半頃。ヒサは来た。またこれが、仕事とかいろいろマニアックな話にまで及んだ。気が付けば16時半。ヒサはアヤネを迎えに行くために帰っていった。ありがとう。週イチの貴重な休みに会いに来てくれて。

18時。夕食。19時。なんとヒサが再登場。「コレは入院の友だから、はずせない」とわざわざもってきてくれた。ふりかけを。こだわりの「瀬戸風味」らしい。感謝です。20時過ぎ。もうなんだか眠くなってきた。やることないし。てなわけで寝る準備に入ります。